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ホームランその1

   コインランドリーで読んだマンガはつまらなかった。
「な〜にが努力と根性だ。 『希望は天のはしごを上っていくのよ、はあと』、だと? うーっ、キモッ。 努力と根性と希望でスタメンが取れるんなら、わしなんかとっくに指定席貸切状態じゃあ!」
 吠えるだけ虚しかった。 山之内孝美〔やまのうち たかみ〕はショボンと首を垂れ、ごちゃごちゃした狭い裏通りを歩いた。
 少し広い商店街に出たところで、不意に風船を渡された。 皮肉にもハート型の風船で、金色に輝いていた。
 ガキじゃねえぞ、オラー、という気分で斜めに見上げると、ウサギが立っていた。 もちろん本物ではない。 堂々とデカい着ぐるみで、しかもショッキングピンクだった。
 笑みをたたえた横幅五十センチの顔で、ウサギはキンキラ声を出した。
「明るい未来と健康のために、ミネラル入りの缶ベジを飲みましょう!」
 そして、試供品のミニ缶まで渡してくれやがった。
 非常にひねくれた気持ちになった孝美は、まず風船を手から放し、あっという間に立てこんだ家並みに消えていくのを見送った。 それからわざと指の力を抜き、ミニ缶を足元に落としてしまった。
 カラン、と妙にさわやかな音を立てて、缶は道路に転がった。 怒りたいだろう、怒れ〜。 孝美はいっそう上目遣いになって、着ぐるみウサギの様子をうかがった。
 ウサギは少し腰をかがめ、孝美の耳元に口を寄せた。 そして囁いた。
「合格!」

 皮肉かよ。 孝美は逆にびびって、そろそろと歩き出した。 するとウサギはついてきた。
 孝美は小走りになった。 ウサギは大股で楽々と横に並んだ。 また声が降ってきた。
「落ちこんでるみたいだな。 おいらなら何とかできるぞ。
一コだけ望みをかなえてあげる。 何にする?」

 こいつはきっとバカだ、と孝美は決めた。 でも最近のバカは怖いのだ。 不意に気を変えて襲ってきたりする。 これでも一応女の子だから…… しかたなく、その場しのぎに孝美は小声で答えた。
「バッティング」
「え? 声が小さい」
「ソフトボールのバッティング! 大きいの打てるようになりたいの!」
 それが孝美の望みだった。 小学校三年でソフトを始めたときから、ホームランを連続でかっとばす夢ばかり見た。 だが現実は、どうしても球をこすってしまい、よくてポテンヒット、大抵は内野ゴロに終わるのだった。
 ウサギは、妙に高い中性的な声で告げた。
「よおし。 明日の午後五時、蓮暁寺〔れんぎょうじ〕の境内に来な。 おいらが魔法のバッティングを伝授しちゃる」
 はあ? これは脳の髄まで腐りが入ってるな、と、孝美は思わずにはいられなかった。
 ウサギはまた彼女の顔近くまで屈みこみ、ごくごく低い声で言った。
「ナイショだぞ、山之内。 絶対ぜ〜ったい秘密にすんだぞ。 ひとりで来たらほんとに教える。 誰かうるせー女どもを連れてきたら、その時点でダメ」
 これは…… 初めて孝美の顔が真剣になった。 彼女が所属している萌義〔めいぎ〕学園高校には、このS県だけでなく隣りの県からもスポーツ推薦で優秀な生徒たちが集まってきていた。 その中でも野球部はピカイチで、プロのスカウトが既に唾をつけている選手が何人もいるという噂だった。
 同じように小声になって、孝美は囁き返した。
「あの、野球部のひと?」
「まあな」
「あれ。 あそこはバイト禁止では」
「だからこの格好なの。 これならバレんから」
 確かに。 孝美はなんだかわくわくしてきた。



写真:NOION
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