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≪ 2 ≫


 相太青年は金を払うとすぐ帰りたがった。
「ちょっと急ぐんです」
  そして、彼は真琴を希望を込めて見つめた。
「駅まで送ってもらえませんか?」
「メットなしで?」
  奥からおじちゃん先生がごついヘルメットを持ち出してきた。 年代ものだが、フルフェイスではないので、しかも大型なので、怪我人の相太にも楽に被れた。
  先生は、古物のコートも青年に着せてやった。 どちらも返さなくていいよ、と気前よく言ったが、実際はゴミに出すより楽だと思ったらしかった。
  ということで、真琴が彼を運んでいくことになってしまった。 今度は照れずに嬉しそうに、相太青年は真琴に覆いかぶさり、小さな駅まで揺られていった。 頭の傷は横に指3本分ほど切れていたが浅かったため、そう痛みはないらしかった。
  おつりの千円札を使って切符を買うと、相太は真琴を澄んだ眼でじっと見つめた。 どうもまばたきせずに見つめるのが彼の特技らしかった。
「名前、教えてくれませんか?」
  そう言えば名乗ってなかった。 真琴は青年の視線の強さにたじろぎながら答えた。
「川崎真琴」
「かわさきまことさん」
  ゆっくり繰り返すと、相太は丁寧に一礼した。
「ありがとう。 みんな君のおかげです」
「私はただ…」
「またお礼に来ます。 じゃ」
  あれ? 最後の言葉がまだ耳に響いている内に、青年は改札をさっと抜け、ちょうど来た電車に飛び乗って、見えなくなった。


  もやもやした気分で、真琴は部屋に帰った。
 プラチナカードか…… 実物を見たのは初めてだ。 世界が違うんだよな、と思うと、何かがっかりして足の力が抜けた。
  感じのいい青年だった。 感じがいい、という言葉では物足りない。 はっきり言って、魅力的だった。 それに、素直だった。 誰の目にも明らかなほど、真琴に好意を示していた。
  でも……
  もうお礼になんか来ないでほしいな、と真琴は思った。 金持ちなんて話が合わないだろうし、気詰まりだし、背伸びしたら後がみじめだろうし。
  真琴は養護施設の出身だった。 実は孤児ではない。 父が倒産した後、母は離婚して去り、借金まみれの父まで蒸発して、孤児同様になっただけだ。
  それでも高校までいい成績で出たが、卒業年が景気のどん底で、この県では高校生の就職率が50パーセントを割るというときだったので、バイトをつないで生きるしかなかった。 ついてない、という言葉を使うのが嫌いだから、そのうちいいことある、人生プラスとマイナスが同じだけあるんだ、と自分に言い聞かせている。 たしか美○明宏さんもそう言っていた。
 

  翌日、真琴がいつも通り夕刊を配り終わって、相太を見つけたあの道をたどっていると、向こうから高校生が走ってくるのが見えた。
  県立高校の制服を着ている。 息を乱して必死に駈けてくるからすごい形相だが、普通にしていたら上品な顔立ちかと思われた。
  彼が真琴のバイクとすれ違ってから少しして、今度はスーツ姿の2人の男性が全速力で走ってきた。 そのひとりがまぎれもなく護口相太だったので、真琴は思わずブレーキをかけてしまった。
  はあはあ言いながら真琴と視線を合わせた相太は、ぱっとフラッシュを浴びたような顔になって、隣りを走る男にかまわず真琴に駆け寄った。 そして言った。
「乗せて! さっき男の子が通ったでしょう? あの子を追いかけて!」
  真琴はぴんと来た。 それじゃさっきの子が犯人の一人? またヘルメットがないが、緊急事態だ。 真琴が乗るように手で合図すると、大喜びで相太がまたがった。
  相棒の男は走りながら振り返り、一言わめいた。
「ずるい!」
  だが次の瞬間には追い越されていた。

  なぜかバイクに二人乗りして追いかけてくるのを見て、男の子は非常手段を使って畑に飛び降り、大根の中を斜めに走っていった。 すかさず真琴はきれいに整備されたあぜ道に曲がり、ぐるっと迂回して男の子をブロック塀に追い込んだ。 いつの間にか退路を断たれていることに気がついた男の子は、急いで元の道路に上がろうとしたが、そこには相太の相棒が駆けつけていた。
  観念した男の子は、高いブロック塀を背にして、ヤモリのようにへばりついた。 相太はバイクを降りて、少年に向かって歩いていった。
  2人の男に挟まれて、少年は上ずった声で叫んだ。
「お前らが、お前らが悪いんだぞ! 姉ちゃんを金で買おうとすっから! だからこの辺はけっこう物騒で、工場なんかに向かないぞって思わせようとしたんだぞ! お前ら、きったねー。 3人で来るなんて!」
「自分だって2人で襲ったじゃないか」
  相太があきれて言った。
「金はどこへやった」
  相太ではない方の追跡者が、ドスのきいた声で尋ねた。 少年は口ごもった。
「廃坑に隠してある。 ちょびっと使った」
「ちょびっとな」
  男が少年の襟元を掴むのを、相太が止めた。
「もうわかったし、この子は逃げたりしないから、先に金を取り返しに行こう」
「でも」
「心配なら見張っていてくれ。 僕は」
  そう言いつつ首を回して、相太はまた希望を込めて真琴を見つめた。 真琴はあきらめて、もうバイクの向きを変えかけていた。
 
  少年から詳しい場所を聞き出すと、真琴にはすぐどこだかわかった。 生き字引ならぬ生き地図と言えるほど、道には詳しい。 最短距離を通って7分で着いた。
  カバンは錆びたドラム缶の中に隠してあった。 数えたところ、百万円の束が一つなくなっていた。 ちびの強盗たちは、昨夜はずいぶん楽しんだのだろう。
  ライターの火をたよりに廃坑を出てくると、外は既に真っ暗だった。 また真琴におぶさっての帰り道、相太は耳元で詫びた。
「君には迷惑かけちゃって、ごめん」
「お金が戻ってよかった」
  姉ちゃんを金で買うとはどういうことだろう、と不思議に思いながら、真琴はさっき来た道をたどった。 護口相太なら、金なんか払わなくても恋人の1人や2人、簡単に見つかりそうなのに。
  わざわざ戻ったが、大根畑には誰もいなかった。 相棒が少年を連れ去ったのだろう。 その行き先がわかっているらしく、相太はまた真琴の眼を見つめた。
「あの」
「今度はどこ?」
「加納拾五郎さんの家。 スーパーマルカドを入ったところなんだけど」
「わかった」


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