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≪ 1 ≫


 真琴(まこと)は、バイクの免許を持っているからこの仕事についた。 ナナハンは重くて、倒れたときに起こしにくいので一回り小さいのにして、毎日便利に使っている。
  真琴は夕刊の配達人だ。 朝刊もやりたいが、真夜中なので女の子はなかなかやらせてもらえない。 午前3時半というと夏でも暗い。 だが5時以降に配ると一部で文句が出る。 早朝に仕事をする人が結構多く、それでもちゃんと朝刊を読んでから行きたいらしい。
  午前中はティッシュ配りかダイレクトメールの個配をする。 午後は商店街と契約して電話注文の宅配をしている。
  つまり、一日中何かを配っているわけだ。 だからこの町の地理には異様なほど詳しくなった。 A地点からB地点まで行く最短距離は真琴に聞け、ということになっているぐらいで、裏道、抜け道、何でも知っていた。
 
  その男は、道の横に倒れていた。 大根畑に腰から下がかかり、上半身が電柱にもたれている。 角を曲がって最初にその姿が見えたとき、真琴は年末よくいる酔っ払いかと思った。
  だが12月に入っているのにYシャツ一枚では風邪を引いて肺炎になると心配して、真琴はバイクを止め、男に近づいた。
  そばに行ってすぐ、ただの酔っ払いでないことに気付いた。 頭に傷がある。 白いはずのYシャツは埃と泥にまみれて薄茶色に変色していた。
  救急車か、警察か。 両方呼ぶべきかもしれない。 真琴が手早く携帯電話を出そうとしていると、男が動いた。
  瞼が上がり、どんよりした眼が真琴を見た。
「だれ?」
  こっちが聞きたいよ、と思いながら、それでも真琴はやさしく答えた。
「新聞配達です。 頭、痛みますか?」
  男はゆっくり起き上がり、頭を押さえてみた。
「そこじゃなく、左」
  左手を動かして側頭部にあてがって、男はぎょっとした。
「けがしてる」
「そう。 血が出てますよ」
  すると彼は、せわしなく周囲を見回した。
「カバン、見なかった?」
「カバン?」
  つられて真琴も前後左右を見たが、どこにもそれらしきものは見当たらなかった。
  男はひょろひょろと立ち上がり、電柱に手をかけて体を支えた。
「行かなきゃ」
「ちょっと待って。 血が出てるんですよ。 手当てしなきゃ」
  夕刊をすべて配達し終わった後で、時間があったのは幸いだった。 真琴はとりあえず後部座席にくくっているボックスを外して電柱の後ろに置いて、ふらついている男を座らせた。
「しっかりつかまってて下さい」
「何に?」
「私に!」
  こんな時なのに、男は困った様子でもじもじしていた。
「でも」
「でももカモもない! メットがないから、振り落としたら私の責任になる。 ガッと抱きついていいですよ」
  男は意外に大きくて、真琴に覆いかぶさる姿勢になった。 背後からツキノワグマに襲われてるみたいだな、と思いながらも、背中が温かいので悪い気分ではなかった。

  もう5時で、暗くなりかけていた。 真琴は知り合いのおじちゃん先生のところへ行くことにした。 彼ならこの時間に急患が来ても嫌な顔はしない。 本名は小阪というのだが、子供の患者が来ると自分を、おじちゃんはね、と言うので、もう10年も前からおじちゃん先生と呼ばれていた。
  表通りから2つ曲がったところにある小さな医院の玄関ドアを開けると、チリチリ、とベルが鳴った。 受け付け兼ナースの春川が、横のドアからひょいと顔を出した。 そこは電気マッサージの部屋になっていて、よくお年寄りが利用している。 今も2人ほどいるらしかった。
「ああ、真琴ちゃん。 どうした? バイクで横すべりした?」
「そんなことしないよ。 頭に怪我した人がいて、手当てをお願いしたいんだけど」
  真琴の背後から入ってきた青年を見て、なぜか春川はぽっと顔を赤らめ、そそくさと奥へ入っていった。
  すぐにおじちゃん先生こと小阪重徳が出てきた。 そして、青年を診察台に座らせてハサミで傷の周りの髪を切り、手当てを始めた。
「どうしたんですか、この傷は?」
「カバンを持って歩いていたら、襲われたんです」
  青年は意外にはっきりと答えた。 おじちゃん先生は眉をひそめた。
「事件ですね。 春川さん、警察に電話して」
「はい」
  備え付けのファックスつき電話に手を伸ばした春川は、途中でその手を止めて青年に尋ねた。
「お名前は?」
  初めて気がついたように、青年は答えた。
「あ…護口です。 護口相太(もりぐち そうた)」
「どこでどんな風に襲われたんですか?」
  助けを求めるように、相太青年は真琴を見た。
「場所は道端です。 初めて来たのでどう説明していいか。 襲ってきたのは男の子2人。 バギーパンツはいて、おでこのところまで帽子下ろした子たち」
「オヤジ狩りですね」
  言ってしまってから、春川は具合悪そうになった。 青年はとてもオヤジとは思えず、まだ20代前半に見えた。
「カバンには何入ってたんですか?」
  少し間があいた。
「書類と、それに1500万円」
「1500万!」
  診察室に異様な空気が流れた。

「警察はやめてください」
  相太青年がそう言ったので、ますます空気がおかしくなった。 ナース春川は息を詰めて言った。
「1500万ですよ。 1500万! 重さにしたって1.5キロ」
  なぜ重さが出てくるのかわからないが、妙に春川が力を入れて発音したため、思わず回り中がうなずいてしまった。
  公表できない金なんだろうか、いわゆる闇金とか――真琴が首をひねっていると、青年はもそもそし出して、しきりにズボンのポケットを探った。 そして、長細い財布をゆっくりと引き出した。
  思わず真琴の顔が輝いた。
「よかったですね。 それだけでも無事で!」
  相太青年はにこっと真琴に微笑みかけ、財布をパカッと開いた。
  みんなの眼が皿のようになった。 3枚のカードが見える。 そのうちの一枚は、某プラチナカードではないか!
「あんた金持ちなんだね」
  おじちゃん先生が白けたように言った。


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