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  夜遅く、聡が目を覚ました。 下の世話をして鮎美が席を外した後、聡は窓辺にひっそり座っている姿に気付き,目を凝らした。
  兄が不安がっているのを悟って、浩輔はぼそっと声を出した。
「よう。 気分は?」
  相手が誰かわかると、聡の顔に安心と当惑の入り混じった表情が広がった。
「ここで何してる?」
「まあ一応、心配だから」
「ああ……悪い」
  ぽつんと言われて、浩輔の顔が思いがけなく赤らんだ。
「担当のナースは近藤さんだったけど、俺と中津川でやるからいいと言ったんだ」
「今ごろ、控え室中の噂になってるな。 近藤さんは震源地とかなんとか言われてる人だからな」
「うん」
  珍しく素直に、浩輔が相槌を打った。
「頭、痛くないか?」
「いや、重いだけだ」
「点滴がうまく効いてるんだな」
「そうらしい」
  目を閉じて、聡はつぶやくように言った。
「中津川さん若いのに何やらせてもうまいな」
  その口調に何かを感じて、浩輔は兄に素早く視線を走らせた。
「確かに優秀だ。 でも油断できないよ」
  目をつぶったままの聡の顔に、影が射した。
「信用できない?」
「いや、人間的に信用はできる。 ただ」
「ただ?」
「正体不明だ。 彼女を見て何を連想したかわかる?」
「なんだい?」
  と、聡が低く尋ねた。
「かぐや姫」
  カチッと音がして、鮎美が入ってきた。 今しがた話していたことを聞かれたか、と浩輔は緊張したが、鮎美の表情はまったく平静だった。
「婦長さんにつかまって、小児科なのに外科でなにしてるの、と怒られました。 だから若先生の婚約者の方に頼まれたと言っておきました。 嘘じゃないですから」
「雅恵さんが心配してたよ」
  浩輔が言葉を添えたが、聡はうなずいただけだった。



  明け方、ドアのガラスに薄く影が映った。 うつらうつらしていた浩輔は、暖かい手が右手に乗ったので、我に返った。
  ささやき声が耳元に響いた。
「入口に誰かが」
  直ちに浩輔は行動に移った。 手で合図して、鮎美を衝立の陰に行かせ、自分はドアの横に身を置いた。 両手に丸椅子の脚をしっかりと握って。
  足音を忍ばせて入ってきたのは、スーツ姿の小柄な男だった。 病室はほぼ真っ暗なのだが、まるで夜行動物のように迷いなくベッドの方角に歩いていく。 浩輔は息を殺し、両手に力を込めた。
  夜目に慣れた浩輔の眼に、男の手が紐のようなものを握っているのが見えた。 侵入者はその紐を持ち直すのと、浩輔が椅子を振りかぶるのとがほぼ同時だった。
  ガンと背中を殴られて、侵入者は前かがみになった。 素早く鮎美が部屋を突っ切り、電気のスイッチを入れた。 うつ伏せのまま這って逃げようとする男を、容赦なく浩輔がぶちのめした。 男は両手を上げ、哀れな悲鳴を発した。
  その顔を見て、浩輔があっけに取られて叫んだ。
「斎藤さん!」
  それは、経理部長の斎藤孝夫だった。



  真っ青な憔悴しきった顔の斎藤を、通報で駆けつけた警察が連行していった。 病院中が噂や憶測で沸きかえった。 浩輔と鮎美は警察に呼ばれ、証人として詳しく事情聴取された。
  疲れた浩輔が帰ってくると、わっと病院関係者に取り囲まれた。 みんな情報をほしがっていたし、話したがってもいて、待合室はてんやわんやになった。
「ここではなんだから会議室に行こう」
  父親の病院長の提案で、一同は一階の会議室になだれこみ、話し合った。 浩輔よりも、残っていた人々が知っていることが、結構あった。 テレビ・ショーやニュースなどで詳しくやったらしい。
「斎藤さんはいくじなしだから、捕まったとたんに観念して、べらべら白状したって」
「独身なんて、将来楽をしようと思って少しずつ横領してたらしい。 でも株で失敗して穴が大きくなって、金庫から金を持ち出そうとしてて」
「それをたまたま若先生に見つかってしまったんですって。 それで逆上して、そばにあった何かで殴った」
「浩輔先生が事務室に入って若先生を見つけたとき、斎藤さんは書類キャビネットの横に隠れてたんですよ。 危なかったですね」
  浩輔の体に冷たい戦慄が走った。


  頭を冷やしに外へ出ると、青いセーターにチェックのパンツ姿の鮎美が、離れた道を横切っていくのが見えた。 彼女も事情聴取が終わって帰されたところらしい。 うつむいていて、珍しく元気がない。 その様子を見て、浩輔はズボンのポケットから手を出し、野生動物のように身軽に走っていった。
  彼が追いつくと、鮎美は固い表情を向け、そっけなく言った。
「病院内では近づかないで」
  浩輔はむっとなった。 自分で思う以上に疲れていたのかもしれない。 妙に機嫌を悪くして、早口で言った。
「何訊かれたか聞きたかっただけだ。 変なこと、しゃべらなかっただろうな」
「変なことって?」
「病院内の管理が悪いとか」
  鮎美は答えなかった。 浩輔は本気で心配になって、彼女の顔を覗きこんだ。
「そう言ったのか?」
  足元を見つめて歩きながら、鮎美は首を振った。
「言わないよ。 まだこの病院に来て半年もたたないのに、管理のことなんかわからないよ」
「何かおかしいな」
  浩輔は、鮎美の反応が普段と違いすぎるのに強い不安を感じ、辺りかまわず鮎美の腕をつかんだ。
「ちょっと来てくれ」
「疲れてるの」
「いいから」
  ほとんど強引に、浩輔は鮎美を駐車場に引っ張っていった。



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