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  ベッド横の椅子にきちんと座り、聡の寝顔を眺めていた鮎美の耳に、遠くから近づいてくる足音が響いた。 軽い、忍び足に近い音だ。 さっと表情を引きしめて、鮎美は背後に用意していたものを強く握った。
  ドアがゆっくりと開いた。 そのとたん、寝ていたと思った聡が敏感に反応し、鮎美めがけて必死に手を差し伸べた。
「中津川さん!」
  油断なくドアを凝視したまま、鮎美は彼の手をしっかり握り返した。 そのとき、ドアが完全に開き,クリーム色の花束を抱えた雅恵がすべりこんできた。
  2人と1人の視線が空中で火花を散らした。 雅恵の目が真ん丸になり、口が開いた。
「何で手握ってるの?」
  気がついて、鮎美はそっと聡の指を外そうとしたが、力が入りすぎていて動かせなかった。 振り向くと、聡はおびえた目で雅恵の動作を追っていた。
「帰ってくれ」
「え?」
  驚いて、雅恵は反射的に首をかしげた。 聡の顔がゆがんだ。
「帰ってくれないか。 ひとりにしておいてくれ」
「ひとりって……」
  絶句した後、雅恵はゆっくり鮎美に視線を移した。 それから花束を窓辺に置くと、低い声で言った。
「ちょっと出て」
  鮎美はようやく聡の指を外すことに成功し、うなずいた。 雅恵の後をついていこうとする鮎美に、聡の弱々しい声が被さった。
「どこ行くの?」
「ちょっと廊下に出るだけです。 5分で戻ります」
  安心させるために明るく言い残して,鮎美は病室から出た。

  ドアを閉じるのとほぼ同時に、ぴしゃっという音と共に、鮎美は頬を張られた。 半ば予期していたので、それほど驚かなかった。
  むしろ叩かれた方より叩いた方がショックだったらしく、動揺して舌がもつれた。
「あな……あなたが悪いのよ! あの……あなた誰?」
  鮎美は説明した。
「ナースの中津川です」
「聡さんとはどういう関係?」
「何もありません」
「何もって、じゃあどうして手つないでたの?」
「母親の代わりに」
「母親!」
「大手術の後は気が弱くなりがちなんです。 若先生にはお母さんがもういらっしゃらないから」
「あなたねえ! そんなきれいな顔してて、よくしゃあしゃあと母親代わりなんて言えるわねえ!」
  鮎美は思わず微笑してしまった。
「顔は関係ないですよ。 そんなにきれいでもないし。 よく見てくださいよ」
  悔しくて、雅恵は両足がぶるぶる震え出すのを感じた。
「ごまかすな!」
  それから、わっと泣き出した。
「心配してたのよ。 瀕死の重傷なんていうから……」
  よろめいた雅恵を、鮎美は両腕で抱きとめた。 つい今まで怒鳴りちらしていた相手の胸に顔を埋めて、雅恵はすすり泣いた。
「心臓が変になったんだから。 でも私には何もできないんだもの。 どうしたらいいかわからないし……馬鹿みたい、私って役に立たなくて……」
  少し離れた通路の角に、浩輔が寄りかかっていた。 ここまで雅恵を案内してきて、様子を見ていたのだが、鮎美は彼に気付かず、雅恵の方は彼のことなど忘れ果てていた。
  無言で2人を見ていた浩輔の目に、思いがけない光景が映った。 泣き崩れている雅恵の肩を、鮎美の手がそっと撫でようとしたのだ。 持ち上がったその手は、結局ためらったあげく下に降りたが、揺れている雅恵の頭を見つめる鮎美の眼はやさしかった。
  しばらく泣いたあげく、雅恵はようやく鮎美から離れ、恥ずかしそうに目をごしごしとこすった。
「それで……彼の容態は?」
「意識がずいぶんはっきりしてきました。 声にも力が出てきましたし」
  てきぱきと鮎美は報告口調で言って、雅恵を安心させようとした。
「ただ、まだしばらく安静が必要です。 お父様の病院長にも会いたがらなかったぐらいですから」
  いくらかためらった後、雅恵はうなずいた。 だいぶ落ち着いてきたらしい。
「また来ます。 明日にでも」
  それから頭を下げて、ぎこちなく言った。
「よろしく……お願いします」
  鮎美は微笑んでお辞儀した。


  雅恵がしょんぼりとエレベーターに乗った後、考えこみながら向きを変えた鮎美は、初めて浩輔の存在に気づいた。 目が合ったので、当惑した浩輔は、そっと立ち去ろうとしたが、意外にも鮎美の方が急いで近づいてきた。
  小走りで来た鮎美は、浩輔を見上げて真剣な口調で尋ねた。
「今ひま?」
  浩輔はまばたきした。
「ひまって……まあ、時間はあるけど」
「一緒にお兄さんのガードしてくれない? みんな忘れてるんだ。 まだ犯人が野放しだってこと」
  そうか! 浩輔は愕然とした。
「警察は? いったい何してるんだ!」
「下で犯人捜し。 面会謝絶で事情聴取ができないから、上がってこないの。 一応出入り口はチェックしてるんだけど、もし犯人が病院関係者だったら」
「そうだよな」
  浩輔は背筋がぞくっとなった。
  病室の方へ歩いていきながら、浩輔は尋ねた。
「君はいいのか? 仕事は?」
「今日は非番」
  あきれて、浩輔は隣りを歩く娘をじっと見つめてしまった。
「なんでそんなに人に尽くすんだよ。 過労死するぞ」
「死なないよ。 体力には自信ある」
  鮎美は強気だった。 浩輔は口をとがらせて、入口で立ち止まった。
「ちょっと待てよ。 聡がいなくなったら、一番得するのは俺だ。 犯人かもしれないよ」
  鮎美は笑って首を振った。 まったく問題にしていない様子だった。
「入って」
  それでも浩輔がためらっていると、いきなり手首を掴んで引っ張り込まれた。




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