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表紙


2 一目見たら



 小田島円香〔おだじま まどか〕は緊張していた。
 こうやって普通に立っていて、ふくらはぎの筋肉がぷるぷる震えるなんて、初めての経験だ。
 今日が十月にしては妙に暖かいからだ、と自分を納得させようとしたが、うまくいかなかった。 ほとんど何の期待もせず、いくらかの好奇心と、どうせ暇になったんだから、というやけっぱち気味の気持ちで、ふらりと来てしまった土地で、いきなりこんなカッコいい人に出会うなんて。


 好みぴったり── 男の顔に張り付いて離れない視線をもてあまして、円香はふやけた笑顔になり、バカみたいにわかりきったことを訊いてしまった。
 大垣家がすぐそこの角にあるのは知っている。 今、門前でうろうろした後、入る勇気がなくて尻尾を巻いて引き返してきたばかりだ。


 すると男は、見かけから円香が想像したとおりの柔らかい声で答えた。
「ああ、うちの隣です。 こっち」
 そして、ブルーのコンビニ袋を振って向きを変えた。 案内してくれるつもりらしい。
 こうして円香は、逃げ場を失った。


 彼がゆっくり歩くので、円香は並んで行くしかなかった。 身長一六○センチで五センチのヒールつきの円香より二○センチほど高い。 なんか釣り合いよくない? と自分に問いかけて、とたんに頬が熱くなった。 背中がむずむずしてきて、自分で自分を殴りたくなった。


 大谷石に瓦の乗った立派な塀が、延々と続く。 二分は歩いたんじゃないかと思う頃、再び玄関前に着いた。 その間、男は一言も発しなかった。 これは円香と歩く男性には珍しいことだ。
 そして円香のほうも話しかけなかった。 舌がもつれそうだったからだ。 こちらはもっと珍しい現象だった。
 立派で威圧的な門の前で立ち止まると、男は涼しげな眼差しで円香を振り返った。
「大垣さんなかなか出てこないんですよ。 来るのが押し売りとか宗教関係ばっかりなんで」
「そうですか」
 答えがため息みたいになって、円香はあわてて声を張った。
「あの、ありがとうございました」
「じゃ、インターホンしときます。 ついでだから」
 男は気軽にボタンを押し、返事をしたかぼそい声に呼びかけた。
「大垣さん、隣の上矢〔じょうや〕です。 女のお客さんですよ」
「女の?」
 返事の声がいくらか上ずった。 こうなっては仕方がない。 隣のジョーヤ氏が場所を譲ってくれたので、円香は黒いインターホンに向かい合い、硬い声で名前を告げた。
「小田島です。 小田島円香」
 インターホンがガタッという音を立てた。 切ったのではなく、ぶつかったような音だった。
 それからすぐ、息せききった声が聞こえた。
「まあ、ようこそ。 いま玄関の鍵を外しますから、どうかお入りになって。 迎えに出たいんですけど、今ちょっと膝を打っちゃって」
 歩けない? それは大変だ。 円香は心配になり、大門の脇の通用門をジョーヤ氏が開けてくれたので、急いですべりこんで玄関へ急いだ。






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