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アンコール!  プロローグ その2




 男は見知らぬ女を抱えたまま、棒立ちになった。
 高い叫びは、ドアの方角から聞こえてきた。 部屋の二人が反射的に顔を向けると、叫び声の主とはとても思えないずんぐりした男が、荒い息をつきながら駆け込んできた。
「おまえ……おまえ達!」
 即座に、見知らぬ女が腕をふりほどき、ずんぐりした男に向かって走り出した。
「あなた! 助けて! この人が部屋に押し入ってきて」
 そこへもう一人、女がドアから滑り込んできた。 清楚な水色のドレスをなびかせた美人で、驚きと嘆きをない交ぜにした表情で、茶色の髪の女性と侵入者を見比べた。
「まあ、お義母〔かあ〕さま、なんてことでしょう」


 侵入者は、きちんと整えられたベッドの前に立ち尽くして、水色のドレスの娘を見つめた。
 この娘にはめられた、と気づくのに、時間はかからなかった。
 彼は決して鈍いほうではない。 それどころか、水色ドレスのフィービーが知ったらギョッとして倒れるほど、危険な任務をいくつもこなした経験があった。
 そんな俺が、こんな小娘にしてやられた。
 ようやく大仕事が終わり、これからは自分の生活を大事にしよう、そろそろ故里〔ふるさと〕に落ち着いて身を固めるか、と思った矢先、ふと出合った可憐な顔に、のぼせあがってしまった。
 侵入者の男は、眼に氷のような冷たさをたたえて、豊かな郷士の一人娘フィービー・レンフルーを睨みつけた。
 フィービーは口元を手て抑え、指の上から男を見返した。 肩をすくませておびえた様子を装っているが、夏空のような青い瞳は、怒りに燃える男を平然と眺めていた。
 怒っているのは、ずんぐりした男も同じだった。 侵入者の三分の二ほどしかない身長をできるだけ胸を反らして大きく見せながら、彼はドアの両側を固めた屈強な従僕二人に命じた。
「こいつを捕らえろ」
 二人はすぐ部屋に入って、侵入者の腕を片方ずつ拘束した。
 そこでずんぐり男は少し落ち着き、のっしのっしと部屋を歩き回ると、やがて立ち止まって尋ねた。
「まず名前を聞こう」
 侵入者は覚悟を決め、はっきりと答えた。
「トマス・ウェイクフィールド」
「そのウェイクフィールドが、いったいどこで、わしの妻と知り合った!」
 両腕を掴まれた姿でも、トマスは二十歳そこそこの若さには不釣合いなほどの落ち着きを見せていた。
「実は、知らない。 さっき初めてお会いした」
「よくもそんな!」
 口から手を下ろして、フィービーが高い声で非難した。
「お義母様がいくらお綺麗だからって、夜に忍び込んで密会しようとした人が何を言うの」
「でも、その人が言っていることは本当よ! 私はこんな方、一度も見かけたことがないわ!」
 茶色の髪の女性が必死になると、ずんぐり男、つまりフィービーの父ダニエル・レンフルーが、眉を吊り上げてわめいた。
「密会だと! 許さん! おまえ達、この野郎を馬屋に連れて行け。 二度とマーガレットに手を出さないよう、たっぷり思い知らせてやる」
 乱暴に連れ出されるとき、トマスはもう一度だけ、フィービーと視線を交えた。
 彼が会いに来たのは、フィービーだ。 それも彼女に誘われて、うかうかと塀を越え、寝室に入り、愛を交わそうと計画したのだ。
 父は頑固者で私をがんじがらめにしているの。 でも私があなたのものになってしまえば、結婚を許さないわけにはいかないわ──純真に見えたフィービーは、長い睫毛をしばたたきながら、かわいらしくそう訴えたのだった。
 君は、君の嘘のせいで僕が痛めつけられるのを、黙って許すのか?
 トマスの視線は、無言でそう問いかけた。
 フィービーは瞬きもせずに、軽く顎を上げた。
 私は若い義母が邪魔なの。 この人を追い出すためなら、あなたが傷ついたって知ったことじゃないわ──やや切れ長な青い眼に、冷酷な光がきらめいて、すぐ消えた。


 トマスはそれ以上何も言わず、抵抗もせず、黙って従僕たちに引っ張られていった。
 ダニエルの後妻マーガレットは、夜着姿のまま、自分の体に両腕を巻きつけてすすり泣いていた。 しかしフィービーはスカートをひるがえして、父が若者に制裁を加える様子を見るために、軽い足取りで階段を駆け下りていった。
 ところが、状況は彼女が二度楽しめるほど甘くはなかった。 四人の男たちがもつれあうように、庭の暗がりへ出ていって間もなく、ウッという悲鳴とも唸りともつかぬ声が二度上がり、ついでダニエルのわめき声が響き渡った。
「ばか共! 何やってるんだ! すぐ追え! 追うんだ!!」







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