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第14章



 裁判が行なわれる郡の法廷を、多くの野次馬が取り囲んでいた。
  人垣を縫って、ハリーに守られながら中に入ったルネは、 弁護席に座って難しい顔をしているカーターのところに飛んで行って、 発見した紙を渡した。
  一読したとたん、カーターの目は飛び出しそうになった。 ルネは人に 聞かれないよう小声で耳打ちしてから、ハリーが確保してくれた席に行った。
  隣にはヴェールをかけたオリヴィアと、珍しく怖い顔をしたガストンが座っていた。  ルネは腰を下ろしながら、オリヴィアにささやいた。
「無罪の証拠が見つかりました」
  オリヴィアはあやうく飛び上がりそうになった。
「えっ? ほんと?」
  ルネは微笑してうなずいた。
「後はカーターさんがうまくやってくれると思います」
 
  やがて裁判長と検事、それに被告が入廷した。
  マイルズは青ざめて、心ここにあらずといった雰囲気だった。 傍聴席を見ようとも しない。 あきらめているように思えて、ルネは心が痛くなった。
  裁判長の槌の音が響いて、ざわざわという私語を静まらせた。
   咳払いして開廷宣言をしようとした裁判長に、カーターが立ち上がって申し出た。
「裁判長殿! ちょっとお待ちください。 このたびの事件は殺人ではないという 証拠が手に入りました」
  そして、驚いている裁判長の元に、紙を持って歩みより、飛んできた検事と 三人で話し合いを始めた。
  いつまでも三人でこそこそやっているので、法廷はざわめき始めた。  後ろの方から野次が飛んだ。
「おい! いつまで内緒話してるんだよ! 俺たちは忙しいんだ!  じっと座ってたら尻が腐っちまうぜ!」
  笑いが起こった。 裁判長はようやく協議を終え、野次馬をにらむと、 槌を鳴らした。
「静かに! このたびの海難事故について裁定を下す」
「海難事故?」
  とガストンがつぶやいた。
「不幸にも、前ウォルベリー伯爵である故スティーヴン・フレデリック・ モンフォート卿は船で単独海に出航し、岩に衝突して沈没したものと判定する」
「おい!」
「なんだ、その判決は!」
  あちこちから怒号が飛び交った。 だが裁判長は平然として書類をまとめ、 さっさと席を立って姿を消した。


「町のものが、納得の行かない判決に怒って襲うかもしれません ので、マイルズ様を裏口から出すことになりました」
  そうハリーが知らせに来てくれたので、男爵夫妻とルネは一足先にデズモンド・ パークに戻ることにした。
  自殺は神に対する最大の罪とみなされる。 したがって、特に身分の 高い者が死を選んだ場合、表向きは事故と発表するのが常だった。
  今回の判決でも、すぐに噂が流されて、人々は真相を陰で知ることになるだろう。
  馬車の中で、ルネは遺書を発見した経緯について、夫妻に詳しく話した。  ただし、誰も信じてはくれないだろうから、二階で見た幽霊のことは伏せたままで。
  ガストンはただただ感心して唸るだけだったが、オリヴィアは少し納得が いかない様子だった。
「よく見つけ出したわね。 すごいと思うけど、ただ1つ、その森番小屋に 女がいたというのは、私にはちょっと信じられない」
  霧のように消えた女……もしかすると、それも幽霊だったのかもしれないと 一瞬思い、ルネは足が震えるのを感じた。
 
 
  裁判が無事終わったので、言いようがなくほっとした一同は、『小鳥の間』に 集まってくつろいでいた。 すると表から、ロバートの嬉しそうな声が、
「おかえりなさいませ」
  と叫んでいるのが聞こえ、ルネがぱっと立ち上がるのと同時に扉が開いて、 マイルズが駆け込んできた。
  日ごろ控えめな彼とは別人のように、マイルズは一直線にルネ目がけて進み、 激しく抱きしめた。
  固く抱き合っている恋人たちを眺めて、ガストンはにやにや笑い、 オリヴィアもほっとして顔をほころばせていた。 これですべてが丸く収まった、 と皆が思った。
  そのとき、ベランダに面した扉がゆっくりと開き、しなやかな姿が音もなく入ってきて、 後ろ手に扉を閉めた。 それは茶色のビロードに身を包んだジミー・ランドールだった。
 
   人の気配に、4人がそれぞれ振り向いた。 マイルズはルネに巻いた腕を 下ろしたが、今度はしっかりと手を握りしめた。
  その様子を見ながら、ジミーは妙に高い声を発した。
「悪運の強い男だなあ。 今度もうまく逃げたそうだな」
「酔ってるな」
  と、ガイルズが鋭く言った。 ジミーはくるりと向きを変えると、残酷な笑いを爆発させた。
「酔いたくもなるさ! スティーヴは本当に死んでいた。 死んで魚に食われた」
「やめろ!」
  マイルズが一歩踏み出した。 ジミーは体を前後に揺らしながら指を振ってみせた。
「本当なら僕がそうやって胸を張って言っていたはずなんだ。 やめろ、出ていけってな。  文無しとして君に金をせびらなくても、この屋敷、この庭が僕のものに……」
「そして一年も持たないで人手に渡るわ」
  オリヴィアが辛らつに遮った。 いつもの大声が金属的な響きを帯びていた。
「こんな酔っ払いは放っておいて、みんな居間に行きましょう」
「いえ、ここにいてください」
  マイルズが静かに言った。
「もう秘密はなしにしましょう。 わたしは疲れました。  物を考えることもできないぐらいです。 ジミーに言いたい事があるなら言わせましょう」
「そうやって優等生ぶるところが我慢ならないんだ!」
  突然ジミーが怒鳴った。
「今夜こそ教えろ。 きさまの父親は誰なんだ!」
 
  ルネは、ぴくりとも動けなくなった。 自分の手を握りしめているマイルズの指から、 すっと熱が消えたのがわかる。
(父親? 父親って……この人のお父様は、先々代の伯爵じゃないの……?)
  徐々にルネの眼が大きくなった。 もし、このジミーの疑いが真実なら、 マイルズは不倫の子ということになる。 伯爵を名乗る権利はないのだ。
  マイルズは、指で額をこすると、前と同じに静かな口調で答えた。
「知らん。 母は秘密を墓の中に持っていってしまった。 相手の男に迷惑をかけたく なかったのか、それとも行きずりの恋だったのかもしれない」
  勝ちほこったように、ジミーはルネに向き直った。
「聞いたでしょう? 確かに聞きましたよね。 この男は伯爵の跡継ぎじゃない。  僕が訴え出れば、この屋敷を追い出されるんだ」
  マイルズの指がそっとルネの手から離れようとした。  だが、ルネは彼の指を追って握り返し、輝く眼でジミーをまっすぐ見た。
「この人は、位や財産がなくても人として値打ちが高い人です。  初めて話を交わしたときから、そう思っていました。 もし、貴族じゃなくて若い商人 かなにかだったら、私はきっと自分から、荷物の中にまぎれこんでも、 この人のところへ逃げていったと思います。 それぐらい好きでした……」
  ジミーの眼が、すうっと細まった。
「おどろいたな、マイルズ。 ずる賢くても、女だけは苦手だと思っていたんだが。
  小さい頃からそうだったよな。 『坊主のマイルズ』、『黙り屋のマイルズ』と 言われていたっけ。 あんまり皮肉がきついから、『魔女の審問官』とまで言われてた んだぞ。 知ってたか?
 君はいつも、スティーヴだけに影のように付きまとっていたな。  教区長のガウンをたわむれに盗み出したときのことを覚えているか?  手のこんだいたずらというと、必ず君に計画を立てる役が回ってきたよな。
   君は自分では加わらないで、成功まちがいなしの計画を作って、僕たちがやるのを 眺めていた。 まったくしゃくにさわる男だ! 父親は人間じゃなく、 ヘビだったんじゃないか?」
「ヘビ? とんでもない。 こんなお人よしのヘビなんていないわよ」
  不意に話に割り込まれて、ジミーは勢いよくオリヴィア叔母に向き直り、くってかかった。
「マイルズがお人よしなんて、どこを押せばそんなセリフが出てくるんです!」
「マイルズのことなんか言ってませんよ」
  オリヴィアは落ち着き払っていた。 扇子を使う手にも震えはない。  だが、瞼がかすかに赤くなって、内心の緊張をかいま見せていた。
「マイルズをとやかく言うのはおよしなさい。 よく周りを見て。
   マイルズを小さいときから気にかけて、はらはらしながら見守ってきた人間が、すぐ傍にいるでしょう? まるで気づかないんだから、まったく」
  ジミーの顔が動かなくなった。 やがて表情が急激に変わり、 大きく広がった眼が、ガストンとオリヴィアをせわしなく行き来した。
「まさか……」
「信じられない? ガストンだって若い頃はスマートだったし、 少しは女の子たちに騒がれてたのよ。 当時からはにかみ屋で、 自分から手を出すことはなかったらしいけど」
  ジミーの視線が再びガストンに移った。 ガストンはやや顔色が悪かったが、 冷静で、来るものが来たという態度だった。
  彼は咳払いし、マイルズの方を見ないで話し出した。
「うん……わたしは若かった。 まだ結婚前で……エリザベスに、 昔からあこがれていたと言われた。 エリザベスは素敵な人で、 わたしは嬉しくなった。 それで、まあ、何だ……そういうことになった。
  しかし、エリザベスは何も言ってくれなかったので、マイルズがつまり、 その、わたしの……何だということは、長い間わからなかった。  夫のウォルターは間男されたのを口に出すような男ではないし。
  あれやこれやで、確かになったのは、マイルズが15歳すぎてからだ。 わたしの祖父の肖像画にそっくりになってきて……倉に隠さなければならなかったほどだ」
  ガストンはもう一度咳払いして、蒼白な顔で動かないマイルズを、 初めてちらりと眺めると、言葉を継いだ。
「オリヴィアはできた女で、マイルズを引き取ろうと言ってくれた。  養子という形にして財産を残そうと。
   だが、言い出せなかった。 マイルズの性格が強すぎるからだ。  うっかり口にすると何が起こるかわからないんで、それで」
「誰に似たんでしょうね」
  と、オリヴィアがつぶやいた。
「エリザベスは明るかったし、うちの人はこんなに穏やかなのに」
  マイルズは顔をそむけて唇を噛んだ。
  とんだ打ち明け話に白けきったジミーは、徐々に怒りで首筋を赤くし始めた。
「待てよ。 それならマイルズは、どっちに転んでも大金持ちの跡継ぎって わけだな。 両手に花で独り占めか!」
「この館がそんなに欲しいなら……」
  かすれた声で、マイルズが言いかけた。 だが、間髪を入れず、 オリヴィアが話の腰を折った。
「このデズモンド・パークは、ただ美しいというだけでなく、 由緒正しい国の名所なのよ。 きちんと管理できる人間が主人に ならなければ、とても手におえないわ。
  ジミー、あなたは見かけほど頭が空っぽではないし」
  ジミーは皮肉に腰を折って挨拶した。 オリヴィアは構わず続けた。
「その気になれば仕事だってできるでしょう。 ただし、あなたには ろくな取り巻きがいないわ。
   ひとりでできることは限られている。 マイルズが両手に花だというなら、 その花はルネとハリーのことよ。
  ジミー、あなたにお家騒動を起こしてほしくないの。  それで、もしガストンが許してくれるなら……」
  オリヴィアは初めて言いよどみ、夫にバトンを渡した。
   ガストンは咳払いして、以心伝心に悟ったことを、早口で申し出た。
「そう、わたしも前から考えていた。 マイルズがデズモンド・パークを継いだ ときからな。 うちには子供がおらんし、わたしには他に……うふん、庶子はおらんから。
  ただ、おまえがあまりにも遊び人なのでためらっていたんだ。
  しかし、おまえももう24だ。 腰が落ち着く頃だ。
   男としての意地もあるだろう。 マイルズを見返したいという」
  不意にジミーが真っ赤に顔を染めたので、ルネは驚いた。 それまでは、 世慣れた冷たい貴族としか思っていなかったが、そのとき初めて、ジミーは年相応の 感じやすい若者に見えた。
  ルネの同情的な視線に気づくと、ジミーはかろうじて挑戦的な姿勢を取り戻し、 肩をそびやかして言った。
「つまり、僕を後継者にして下さるという、ありがたい申し出ですか?」
「決まったわけじゃない」
  ガストンにしてはきっぱりした答えが返ってきた。
「おまえがその資格ありと自分で証明したときに、正式な養子にしよう。
 半年間身をつつしみなさい。 悪友たちから離れ、賭け事と縁を切りなさい。  それができたら、喜んでうちに迎えよう」
「叔母上は本当は喜んで下さらないでしょうね。 以前から僕を嫌っておられたから」
「そういうふうにひがむところが嫌いなのよ」
  オリヴィアはうんざりしてつぶやいた。
「子供のころから、すぐにすねたりふくれたりして、かわいくない子だったわ」
「傍に天使がいると、そうなるんですよ」
  と、ジミーが言い返した。 酒のせいで、自覚している以上に本心をさらけ出していた。
「スティーヴは完璧だった。 美しく、賢く、優しく、運動万能。 同い年だから、 ことごとく比べられた。
 たまりませんよ。 似てるのは顔だけだなんて言われちゃ」
「ジミー、スティーヴはもういないのよ。 みんなの心にはまだ生きているけれど。
 ね、このまま一生差をつけられて終わるか、スティーヴに負けない人生を送るか、 どちらが望み?」
  オリヴィアの言葉に、ジミーは下を向いた。 なかなか素直になれないらしい。  オリヴィアは溜め息をつき、夫に言った。
「ごたごた続きで疲れたわ。 もう眠りたい。 二階に行くわ」
「わしも行こう。 今夜は仕方ない、泊めてもらうよ、マイルズ」
  マイルズが小さくうなずいて綱を引くとベルが鳴り、どこからともなく現れたウィギンスの案内で、 夫妻は部屋を去って行った。
  ジミーは、わざとらしく伸びをした。
「やれやれ、と。 スティーヴをしのんで、もう一杯かたむけるかな。  ロバートはどこだ」
「今夜は帰ってくれ」
  額に手を当てて、マイルズが低く言った。
「頭が割れそうなんだ」
「善良なるガストン・アランデル殿が父親とわかって、頭痛がしてきたか?」
  高笑いを残して、ジミーはよろめきながら、入ってきた扉を開けて庭に出て行った。


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