表紙

第13章


 ガストンがロンドンまで飛んでいって、一流の弁護士を連れてきた。  だが、手を尽くして調べた末、弁護士のカーターは難しい顔で言った。
「はっきり申し上げて、状況は極端に不利です。  船底には穴があけてあった。 四角く切り取ってあったのです。  岩で開いたとは到底思えません」
「つまり、マイルズがスティーヴを殺して船に乗せて、沖で底を切って沈めたと」
  オリヴィアがあえいだ。 カーターは眉を寄せてうなずいた。
「前の伯爵スティーヴ・モンフォート殿はめずらしいほど立派な人柄で、 敵というものが一人もいませんでした。 スティーヴ殿が死んで得をするのは、 弟君のマイルズ殿ただ一人なのです。
  しかもマイルズ殿は以前にも人を殺して……」
「ルネ、こんな話、気分が悪いでしょう? あっちへ行っていましょう」
  不意にオリヴィアが言い出したので、ルネは思わずその手にしがみついた。
「お願いです。 話を全部聞かせてください。  あの人のことをすべて知りたいんです。
 何を聞いても動揺しません。  信じていますから」
  ちょっとためらった後、オリヴィアは再び腰を下ろし、低く呟いた。
「そうね、どうせ裁判でわかってしまうんだから」
  弁護士は咳払いして続けた。
「マイルズ殿は1年前に、娼婦のネリー・シンプソンを剣で刺し殺していますね。
 その女が強盗の一味だったということで、軽い処分ですんだが、 前科は前科です。 裁判官の心証は悪くなるでしょう」
  ルネは頭が混乱してきた。
  娼婦? 1年前?  森の小屋にかくまっていた女がそのネリーだとは考えられない。  半年前には小屋にいたと、あの子供が言っていたのだから。  話がつながらない……!
  ずっと無言で頭を垂れていたガストンが、絶望的な声を出した。
「だめか! マイルズは斬首刑になるんだな」
  とたんにルネは体を起こした。 眼が宝石のように輝き出した。 
(そんなことはさせない。 何をしても、たとえ証拠をでっちあげても、 あの人を救う。 救い出してみせる!)
 
 男爵邸を辞して、帰りの馬車に揺られながら、ルネは唇を噛みしめて 考えていた。
   船に乗っていたのは前伯爵だけ。 それなら自殺ということにすればいい。  スティーヴが自分で船底に穴を開けて、死んでいったことにすれば、 誰も傷つかない。 そうだ、遺書を作ってしまえばいいんだ!
 
  デズモンド・パークに戻るとすぐ、ルネはウィギンスに叫んだ。
「お願い! 先代様のお部屋を見せてください!」
  必死の勢いに押されて、ウィギンスは二階にあるスティーヴの 部屋にルネを案内した。
 
  鍵を開き、ドアを開けると、かすかなカビと埃の臭いが鼻をついた。  窓のカーテンを自分で開き、光を入れて、ルネは大きな机に眼をとめた。
  急いで近寄ると、戸口に立っていたウィギンスが顔をしかめた。
「先代様の持ち物にはあまり触れないほうが……」
  振り向きもせずに、ルネは強く答えた。
「今の殿様を救うためです。 手伝ってください」
「は?」
  ルネは振り返って、ウィギンスに眼で哀願した。
「あの人を助けたいの。 先代様の使っていたペンと羊皮紙が必要なの」
  ウィギンスはたじろいだ。 奥深い眼が、一瞬光った。
「奥様」
  ウィギンスの声はいつも通り静かだったが、かすかに残忍な響きを帯びた。
「わかってらっしゃいますか? お二人の結婚は公〔おおやけ〕に認められたもの。 もし殿様が なくなられたら、この領地も財産もすべて、奥様とお子様のものになるのですよ」
  ルネは同じように静かに答えた。
「そうはならないと思います。 殿様が兄上から地位を奪い取ったとされれば、継承権は奪われるでしょう。
たとえそうならなくても、継承者第二位のランドール殿が黙っていないはず」
  ウィギンスはふっと微笑し、肩の力を抜いた。 彼がこんなに人間らしく見えた のは初めてだった。
「本当にしっかりしていらっしゃる」
  皮肉とも賞賛ともつかない言葉と共に、彼は自分から机に来て、引出しを開けてくれた。
「ここに入っております」
「ありがとう!」
「では私は下に行っておりますから、用事がお済みになったら呼んでください」
「わかりました」
  ルネは急いで引出しからペンと紙を出した後、はっと気づいた。  スティーヴの筆跡がないと、真似できない。
  ふたたび引出しを探っていると、小型の本が手に触れた。  日記帳かと思い、開いてみると、ペトラルカの詩集だった。
「スティーヴ殿は詩が好きだったんだわ」
  何度も読み返した形跡があるが、ページはきれいで指の跡はなく、 2箇所にしおりがはさみこんであった。 書き込みもない。
「大事にしてたんだ」
  スティーヴの字が見つからなかったのでがっかりしながらも、 ルネは彼に好感を持った。
  詩集をそっと引き出しに戻していたとき、ルネはあることを思い出して動きを止めた。
(あの小屋……あそこに詩集があった)
  そう、森の中の小屋に、何冊か置いてあった。 そのうちの一冊が、 大きくページを折られていた。
  小屋にいた女がやったのかもしれない。 だが、ページの角を目印に 折ることはよくあるが、あれは大きく、しかも斜めに折ってあった・・・・
  ルネの体が、びくっとなった。 不意に右の肩が重くなったのだ。 まるで誰かが すっと手を置いたように。
  部屋にはルネ以外誰ひとりいないはずだ。 召使がそっと来たとしても、肩に手をかけるわけはない。
 怖すぎて振り向けない。 筋肉が固まった。 眼だけ動かすと、斜め前にある大鏡に部屋の中が映っていた。
 
  ルネの背後に、青い服をまとった金髪の青年が立っていた。
 
 
  ルネの全身に鳥肌が立った。 青年は、ゆっくり首を回してルネに顔を 向けた。 整った上品な面立ち。 細い口ひげ。 静かに呼吸している音まで 聞こえてきそうだった。
 眼をそらしたいのにまったく体が反応せず、ルネは立ち尽くし、見つめ続けていた。
  やがて耳の奥で声が響いた。 低く、やさしい声が。
「そうだ。 小屋に行け」
  とたんに殴られたような頭痛がして、ルネは前のめりになった。
 
  ようやく机に手をついて上半身を支えた。 それからおそるおそる鏡を見ると、 そこにはもう、彼女しか映っていなかった。
  激しく息を吸い込んで、ルネは部屋を飛び出し、階段を駆け下りて、庭に走り出た。
 マットが大急ぎで後を追った。
 
 小屋にたどりついたときは、あまり必死で走ったので息たえだえになっていた。
 それでもルネは夢中でドアを引き開け、小机の上にある赤い表紙の 詩集を手に取った。
  大きく折られたページを指で広げると、中に一行書いてあった。
《長持の中》
  たちまちルネは床に膝をつき、長持の蓋を開けて中の服を引っ張り出した。
  しかし、服をどんなに調べても、糸くずひとつ出てこなかった。  ルネは泣きたくなって、思わず憎らしい長持を足で蹴った。
「何よ! 何も入って……」
  ないじゃない!と言い続けようとして、ルネは眼を見張った。 長持の底が動いた! 確かにカタンと持ち上がった。
  二重底になっていたのだ。 底の上に同じ大きさの板が置いてあった。
   あせる指で何度も掴みそこねながら、ルネは中の板を取り出した。
 
その下に、2枚の紙があった。
  拾い上げて読んで、ルネは湧き出る涙に前が見えなくなった。


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