表紙

第12章



 ルネは大急ぎで着替えをして階下に下りていった。  ウィギンスが小走りで歩きながら声をかけた。
「騒いで申し訳ありません。 お体にさわりますから、どうかお休みください」
  しかしルネは、薄い外套を羽織って夜の庭に出た。 そして駈けていく男たちに ついて岸まで行った。
 
 海岸はあかあかとかがり火に照らされ、何人もの人が動き回って、 別の場所のように見えた。
  ルネが火から少し離れたところに立っていると、顔見知りの男が立ち止まって 一礼した。
「マダム」
  ルネは、いくらかぼうっとしたまま尋ねた。
「船は?」
  男は口早に答えた。
「ザクセンの船のようです。 てんで英語を話せない奴らばかりで、 妙な言葉でわめいています」
  ルネは意識が急にはっきりしてきたのを感じた。
「ドイツ語のわかる人はいるの?」
「いや、この辺にはちょっと」
「私が訊いてみましょうか?」
  男は喜んだ」
「そりゃ願ってもないことで!」
 
  助けられた男たちはマントや毛布にくるまり、不安げに固まっていた。
  その中に一人、立ち上がって何とか話を聞いてもらおうと努力している 大男がいた。 ルネは赤髭のその男に近づいていった。
『大変でしたね。 どこから来たんですか?』
  男はルネを見つめ、しがみつかんばかりに訴えかけた。 相当なまりの ひどいドイツ語だった。
『俺たちが悪いんじゃないんだ。 あそこに岩はないはずだったんだ。
   ありゃ船だよ。 折れたマストが見えた。 俺たちの大事な船がぶつかってその クソったれ船を持ち上げちまったから、今じゃ半分くらい海の上に出てるはず だよ。
 でも俺たちの船が沈めたんじゃない。 きれいな娘さん、皆に説明して おくれよ。 俺たちは沈没船に乗り上げたんで、ぶつけて沈めたわけじゃないんだ』
  ルネの足元にから冷たい戦慄が這い上がってきた。
   入り江のすぐ外で沈んでいた船……スティーヴ・モンフォートの船だとしたら…!
  歯の音が合わなくなりながら、ルネは振り向いて上ずった声で言った。
  「この人たちの船は沈没船にぶつかって壊れたのだそうよ」
  辺りは一度に静まり返った。 波の音と風のかすかな唸りだけが浜を支配した。
  やがて、一人がおびえた口調でささやいた。
「先代の殿様の船だ……」
  もう一人が叱りつけるように言った。
「確かでないことを口にするんじゃねえ」
  ルネはやっとの思いでもう一言言った。
「その船は浮き上がったから、明るくなれば誰のものかわかるわ」
 
 
 難破船の船員たちはデズモンド・パークに連れていかれた。 ルネは浜を 眺め渡してマイルズを探したが、その姿は見当たらなかった。それでルネは体に 外套を巻きつけて火のそばに座り、説明役に一人残った赤毛の男とぽつりぽつりと 話しながら夜明けを待った。
 
  やがて日が昇った。 淡い灰色の生まれたての日光が水平線に現れたとたん、 男たちは海上に目をこらした。
  5分後、誰かが感に堪えたようにつぶやいた。
「先代様の船だ……ジョワ・ドゥラヴィ号だ」
  離れたところで声がした。 ルネがいることに気づかなかったらしい。
「あそこで沈めてボートで戻ってきたんだな」
  ルネの肩が激しく震えた。 そんな……まさかマイルズが……! 
  数人の男が港の方から漁船で乗り出して、難破船に向かっていた。 それを見て、 赤毛の男もしきりに行きたがった。
『あの連中、積荷を盗むんじゃないだろうか』
『心配なら帰ってきたときに調べればいいわ』
 そう答えてすぐ、ルネは振り返った。
「ジェイスン、ついて行ってあげて」
 赤毛の男が庭番のジェイスンと去った後、ルネは不安におびえながら 男たちが難破船に乗り移るのを眺めていた。
  彼らのうち、二人が、浮き上がってきたもう1隻に飛び移った。 その一人が 船室を覗き込み、もうひとりとあわただしく話し、それから岸にいる人々に、 両手をラッパにして叫んだ。 声はかすかに潮風に乗って届いた。
「死人がいるぞう!」
  ルネは息苦しくなって立ち上がった。 死人と聞いて、残っていた男たちも 船着場に駈けて行った。 入り江は再び元の静寂に戻った。
 
 しばらくじっとしていたので、歩くと足がふらついた。 ルネはゆっくりと屋敷に 向かった。
 玄関から入り、二階に上ろうとしていると、ウィギンスがどこから ともなく現れて呼びかけた。
「『小鳥の間』に火をたいてございます。 どうぞ」
  ほっとして、『小鳥の間』に入りかけて、ルネの足は止まった。 暖炉の横に、 マイルズが背を向けて立っていた。
  ルネが中に入って戸を閉めると、マイルズは振り向いた。 顔にまったく 血の気がなく、やつれて見えた。 
  なかなか言葉が出ないようで、数秒の間マイルズはためらっていた。
「船が……見つかったらしいな」
  ルネはためらいがちにうなずいた。 それを見ると、マイルズはのめるような 速足でルネに近づき、手を取った。
「……兄の……スティーヴの船だったか?」
  ルネはもう一度うなずいた。 とたんにマイルズは崩れるように膝をつき、 ルネの胴に手を回してもたれかかった。
「何てことだ! 何てこと……スティーヴ、スティーヴ」
  ルネは自分も絨毯に膝を折って座ると、マイルズを固く抱きしめた。
「遭難なさったんですね。 お気の毒に」
  マイルズはルネの肩に顔を埋めていた。 泣いてはいない。 ただ、 小刻みに震えていた。

 
 どのくらいそうしていただろうか。 やがてドアが遠慮がちに開いたので、 ルネは顔を上げた。
 そっと入ってきたウィギンスが、小声で告げた。
「郡の執政官のバーナード大佐がお見えです」
  マイルズはゆっくりとルネの首筋から顔を上げた。
「わかった。 今行く」
  ぎこちなく立ち上がると、マイルズはルネに手を貸して立たせ、可憐な顔に かかった後れ毛をそっと指でかき上げた。
  それからやさしくキスした。  額と、頬と、唇に。 やわらかい羽根でそっと触れたようなそのキスは、 ルネの胸にずしんと重く沈んでいった。
  もう帰れないと思っているんだ・・・・ルネは息が止まりそうになった。  マイルズは手を離し、静かに出ていった。 ルネのほうを一度も振り返らずに。
  ルネが少し遅れて出ようとすると、大佐のきびきびした声が廊下に響くのが聞こえた。
「突然お邪魔して失礼します。 伯爵領の私港になっているドッドソン入り江の すぐ外側でザクセンの船が難破したことはご存じですね。  あの船が何に乗り上げたかも。
  沈んでいた船にはほぼ白骨化した遺体が一体残っておりまして、 指輪には伯爵の紋章が……」
  ルネは思わず壁に寄りかかった。 一体……遺体は1つだけだったのか……
  マイルズの疲れた声が聞こえた。
「それではわたしが1年前に確認した死体は人違いだったわけですね」
「そう思われます。 ご足労ですが、本部まで同行していただけますか。  いろいろお聞きしたいことがありますので」
  言葉遣いは丁寧だが、実質は命令だった。 
 ルネは思わず廊下に飛び出した。  二人の男が廊下を遠ざかっていくのが見えた。 ルネは唇をふるわせながら、 その後ろ姿を茫然と見送っていた。


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