表紙

第11章



 どれだけ笑顔を作り、どれだけ膝を折ったか、自分でもわからなくなるほど長い長い数時間が 過ぎた。 オリヴィアが傍について助けてくれたおかげで、ルネはとどこおりなく 未来の花嫁としてのお披露目を済ませることができた。
 
 幸い、夜が次第に更けてきても、天候は晴れたままだった。 盛大なパーティーの最後に、 未来の花嫁へ捧げる天の花束として、藍を 流したような夜空に花火が紅色の弧を描き、広大な庭園のそこここに 流れ落ちていった。
 

 客たちが挨拶を済ませてばらばらと帰っていった後、ルネは一番手近に あった椅子に、転げるように座りこんだ。 横にオリヴィアが椅子を 引きよせて腰を下ろし、ルネの手を軽く叩いた。
「初めてにしては、よく頑張ったわ。 おなかの子供にさわるといけない から、もう横になりなさいな」
「ありがとうございます」
  ルネは心からの微笑みを年上の貴婦人に向けた。
「奥様のおかげです。 何もかも」
「つい張り切ってしまったわ。 ここがこんなに華やぐのは久しぶり だから。 いろいろあって、もうこの屋敷には来ないようにしようとまで思ったけど」
  もう一度、ポンとルネの腕を叩いて、オリヴィアは立ち上がった。
「さあ、私たちももう帰らなければ」
「泊まっていかれたら?」
「ありがたいけど、ガストンは自分の枕でないと眠れないのよ」
  ひらひらと手を振って、オリヴィアはソファーでのんびりと酒を飲んでいる夫の ところに急いだ。 
 二人が肩を並べて出ていく姿を見送りながら、ルネは 夢見た。 あと30年先に、ああいう夫婦になれたら、と。
 

 大広間では召使たちが慣れた様子で片づけにいそしんでいた。 ルネは、 暖炉の火を落としているウィギンスに近づき、小声で尋ねた。
  「殿様はどちらに?」
  ウィギンスは腰を伸ばすと、いつもの無表情で答えた。
「存じません」
  ついさっきまでいたのに・・・ルネは首を左右に動かして、見通せる部屋の中を 確かめた。 『ライオンの間』にも『水晶の間』にもマイルズの長身は見当たらなかった。
  ルネは、不意に心細くなった。 着替える前に、どうしてもマイルズを 見つけたくなって、ルネは燭台を手に取ると、他の部屋を覗きに行った。
  一階のどこにも発見できない。 ルネは裏口から庭に出た。 そのとたん、 横から出てきた黒い影と衝突しかけた。
 
 驚いてロウソクを持ち直したルネの視野に、白い顔が浮き出て見えた。 間違いよう のない整った顔立ちだ。 思わずルネは一歩後ずさりした。
  ジミー・ランドールはややわざとらしく、深々と頭を下げた。
「驚かせて申し訳ない。  スコットランドに行っていて、招待状を見るのが 遅れたんです」
  一応頭を下げ返しながら、ルネは青年を観察した。 この前よりいくらか 日に焼けている。 それに態度がいっそうだらけている。 酒を飲んでいる らしいとルネは見当をつけた。
「それはどうも。 もうお客様はお帰りですが、中へ入って少しお話でも」
  どうしてこの人はこう間が悪いんだろう、と思いながらも、ルネは 自分を抑えて誘った。 しかし、ランドールは首を振った。
「いえ、もう帰ります。 マダムの美しい姿を拝見できたし」
  とたんにルネの顔が強ばった。 嫌味としか聞こえないセリフだ。 白けた 雰囲気を感じたのだろう。 一応ランドールは詫びを入れた。
「この前お目にかかった時の失礼な態度をお詫びします。 あのときは、 嫌なことが重なっていて、つい八つ当たりをしてしまいました」
  ルネは固い姿勢を崩さなかった。
「もう気にしていません。 お気遣いなく」
「そうは見えないな」
  不意にランドールは儀礼的な態度を放棄して、あっさりとしゃべり出した。
「あなたは僕を悪い狼と思っているんでしょう。 きれいな女の人を見て、 ちょっとキスしようとしたのがそんなに無茶なことですか?」
  ルネはたちまちむっとなった。
「普通しますか? 初対面の、まだ名前も知らない相手に。 それに、 どう考えても私に好意をお持ちじゃなかったし」
  ランドールの彫りの深い顔に、さっと影が走った。
「好意を持たなかったのはどっちの方だろう。 あなたが居間に入ってきて 僕を見つけたときの顔を、鏡があったら見せてやりたかったところだ。 まるで 犬のくわえてきたものを眺めるような目つきだった」
  そうだったかもしれない・・・ルネはようやく、ランドールが最初から けんか腰だった理由を知った。 ファン・ヨースのせいで、ルネは 必要以上にこの美しい青年に反感を抱いてしまったのだ。
  いくか反省して、ルネは穏やかな口調になった。
「確かにあの日は疲れていて、失礼な態度だったかもしれません。 お詫びします」
  ふっと息を吐くと、ランドールは微笑した。 初めて皮肉を感じさせない、 普通の笑顔だった。
「もう1つ、言わなきゃならないことがあるんです。 例の賭け事の件 ですけど、あれはファン・ヨースとかいう奴が僕にわざわざ手紙を書いてきた 話なんです。 そのとき賭けに参加していた友人に聞いて、本当のことが わかりました。 
  賭けは、その商人の方から言い出したそうです。 でも負けがこんで、 とうとうイカサマをしてしまった。 そのときマイルズの出した条件が、 あなたを自由にすれば罪を咎めないというものだったんです」
  ルネはしびれたようになった。 賭博ではイカサマは大変な罪だ。 紳士なら 社交界を追放され、商人は社会的信用を失い、商売ができなくなるのだ。
  やはりマイルズは立派な人だった・・・・喜びにぼんやりしているルネを  ランドールはそっと見つめた。
「そいつは僕がマイルズと仲たがいしているから、噂を流してもらえると 思ったらしいです。 馬鹿にするにもほどがある。 いくらマイルズが嫌いでも、 一応親戚だ。 身内の悪口を言いふらしたりするかっていうんだ」
  衝動的に、ルネは手を延ばして、ランドールの華美な服の袖に触れた。
「ありがとう。 とても……とても嬉しいことを教えてくださって」
  ランドールは照れたように少し手を上げて挨拶し、向きを変えて 歩き出した。 その姿はすぐに庭園の暗闇に呑まれていった。
 
 
 語り合いたいことがたくさんあった。 着替え終わると、 ルネはわくわくしながらマイルズの訪れを待った。
  しかし、真夜中過ぎても彼は現れなかった。 そのうち疲れがどっと襲ってきて、 ルネは知らない間にベッドに丸くなって寝込んでしまった。
 
 
 聞きなれない物音で、ルネは深い眠りから引き起こされた。
  表のドアを思い切り叩きまくって、男が叫んでいた。
「難破船だ! かがり火をたくんだ! ブランディを用意してくれ! 男たちを 集めろ!」
  それは確かに、マイルズの叫び声だった。


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