表紙

第10章



 翌日の夜、マイルズが帰ってきた。 ルネは彼のために フルコースの料理を作ったが、自分は食欲がないのでマフィンとミルクで 済ませた。 同様に夜も翌朝も、ほとんど食べなかった。
  昼食の時、ルネはマイルズが自分を見守っているのに気が ついた。 それで無理に食べようとしたが、今度は空っぽの胃が 受け付けない。 本当に気分が悪くなってきたので、ナイフを置いた。
  マイルズは、食事を食べ終わるとまっすぐルネの眼を見て言った。
「やはり様子が変だ。 医者を呼ぼう」
 

 ルネの話を聞き、診察した後、ベイカー医師は顔をほころばせて言った。
「ご心配は要りません。 オリーヴの若枝を鳩が運んできたのです」
  いくら英語がうまくても、こういう仄めかしはよくわからなかった。
「オリーヴ……?」
  医師の笑顔が大きく広がった。
「そうでした。 マダムは外国の方でしたね。 それならはっきりと 申しましょう。 あと半年すると、マダムは玉のような赤ちゃんの母上となられます」
  ルネは打ち倒されたようになった。 喉元まで息が迫って、自分でも 顔が真っ青になるのがわかった。
「ほんと……本当ですか?」
  医師ははっきりとうなずいた。
  ルネはぼうっとなってしまい、医師が静かに部屋を出ていったのに気づかなかった。

 間もなく、ドアが開いた。 そして、長身の姿がひっそりと部屋に入ってきた。
  ルネは初めて自制心を失った。 うれしくてうれしくて、眼があいて いられないほどになって、ルネは夢中でマイルズに走りより、胸に顔を埋めた。
  マイルズは強く抱き返した。 その腕がルネの脇の下に入り、ふわっと 持ち上げてくるくると回した。
「すごい! すごいよ、ルネ! わたしたちの子が生まれるなんて、信じられないよ!」
  私こそ、とルネは密かに思った。 ファン・ヨースのとりこになっていた 1年半、ルネは一度も妊娠しなかった。 ファン・ヨースは彼女に子種が ないんだと決めつけたが、実際はどうも彼の方に原因があったようだった。
  ルネに軽いキスを何度もして、マイルズは楽しそうに言った。
「うちの一族の家系は絶えかけている。 叔母夫婦には子供はないし、 わたし以外に残っている者といえば、あの放蕩者のジミー・ランドール だけだ。 ジミーの子がこの館を踏み荒らすことを考えると胸クソが 悪くなる。
  生まれる子はここの跡継ぎだ。 さあ、1日も早く結婚披露をしなければ」
  え? ルネはマイルズの腕から滑り降り、まじまじと顔を 見つめた。 今、考えられない言葉を聞いた気がするが……
  マイルズはやや切れ長な紺色の眼をルネに据えて、当然のことのように言った。
「だから結婚披露だ。 ハリーと町へ行ってドレスを作ってきなさい。 披露 パーティー用と、ウェディング・ドレスを」
 

 それから一週間は、後で思い返しても目まぐるしく、心が蝶のように 舞い上がった日々だった。 
  町でドレスを注文し、できあがっていた服をようやく受け取り、ついでに化粧品など 数点買って、ハリーと館に戻ると、留守の間にオリヴィアが来ていた。
  馬車から降りてドアを開いたとたん、オリヴィアが飛びついてきて 頬に音を立ててキスしたので、ルネはバランスを崩して危うく尻餅をつくところだった。
  オリヴィアは異様なほど喜んでいた。
「夢のようよ! あのマイルズが父親になるなんて! 一人と言わず、 何人でもお産みなさいね。 ここは広いから、1ダースでも大丈夫よ。 
ほんとに素晴らしいわ。 私が乳母を探してあげますからね。  心配しないで任せておいて」
  思いがけない対応に、ルネはうれしくて頬を染めた。 子供ができた事を、 こんなに喜んでくれるなんて。 回り中が子供の誕生を祝福してくれる 気がして、ルネはとても心強かった。
 
 
 オリヴィア叔母は、パーティーについて様々な助言をしてくれた。
「招待するのは、たぶん40人ぐらいになるでしょう。 必ず招かなければ ならないのは……」
  近隣の貴族、教区教会の牧師、主だった商人など23人の名前を、 オリヴィアは紙に書き出した。
「後は近所の人たちね。 ハリーと相談して。
  もてなしはぜひ、あなたの料理がいいわ。 なまじっかなコックよりずっとね。
  そうそう、最後に花火を用意するといいわ。 デズモンド・パークの舞踏会と いえば有名なものだったのよ。 2年前まではね」
  懸命にメモを取っていたルネがふと顔を上げると、オリヴィアの顔に 奇妙な表情がうかんでいた。 口にしてはならないことを、つい話して しまったときのように。
 

 残りの招待客は、マイルズが選んだ。 飾り付けや花火など、 外回りはマイルズが担当して、招待状の作成・発送はルネと ハリー・クラークが受け持った。
  書斎を兼ねた『小鳥の間』で、二人は作業を始めた。 ルネが見事な字を 書くと言ってハリーは感心した。
「わたしなどペンをなめなめゆっくり書くのがせいぜいですが、 ずいぶんすらすらとお書きになりますなあ」
「クラークさんと違って、あまり重要なことは書かないからですわ」
「どうかハリーとお呼びください」
  と、管理人は頼んだ。 その誠実な口調に、ルネは目頭が熱くなった。 どうもこの 数日、興奮のためか神経が高ぶっている。 少しでも気持ちを静めるために、 ルネは思い切ってハリーに尋ねてみた。
「それではハリー、お訊きしたいことがあるの。 私、本当に殿様の花嫁に なっていいんでしょうか?」
  ハリーはびっくりして、フクロウのような顔になった。
「どうしてそんなことをおっしゃいます!」
「つまり……殿様には他に理想の方がいらしたのではないかと……」
「そんな女性はいません!」
  と、ハリーは即座に断言した。 そして、幾分ためらいながら付け加えた。
「マイルズ様は女性を嫌っておいででした。 憎んでいらした時期もあった ようです。 今は違いますが……」
「憎むには理由があったはずです。 愛していたのに裏切られたとか」
  沈黙が続いた。 ルネが見ると、ハリーの顔がはっきりと青ざめていた。 眼が ルネを避けて窓のほうにそらされた。
「……わたしにはこうとしか申し上げられません。 マイルズ様が心から信頼した女性はマダムが初めてだと。 後はマイルズ様が、その気になったら お話しされるでしょう。 
 でも、これだけはお忘れにならないでください。 マイルズ 様にはマダムが必要なのです。 決してマイルズ様から離れようなどと お考えにならないでください」

 
 婚礼は、庭の奥まったところにあるチャペルでごく内輪に行なわれた。 親族といっても ランドールは、たぶん呼ばれなかったのだろうが、姿を見せず、アランデル夫妻とクラーク、それに 地区の牧師と数人の聖歌隊というわずかな人々が集った。 しかし、ルネはむしろそのほうがうれしかった。


 いよいよ結婚披露パーティーの当日になった。 
 ルネはメリッサに 手伝ってもらって繻子の服をまとい、髪を流行の形に結った。 
 鏡に映った 貴婦人は、自分でも見分けのつかないほどの出来栄えとなった。 メリッサは 手を打って、子供のようにはしゃいだ。
「おきれいですわ。 目がくらみそう! 殿様に早くお見せしましょうよ!」
  ルネもその気になってきた。 美しくなったと思い、見てほしいと感じた。 それで、 最後の飾りつけをしている大広間にそっと降りていった。
  マイルズはハリーと並んで花輪の位置を確かめていた。 そばには後見役と して早めに来た男爵夫妻もいた。 ルネは階段の途中まで降り、そこで 恥ずかしくなって立ち止まってしまった。
  最初にルネに気づいたのはガストンだった。 何気なく振り向いた とたん、ガストンのどんぐり眼は飛び出しそうになった。 そして、 辺りはばからぬ大声を上げた。
「こりゃあ……何とまあ……!」
  4人の視線が一斉にルネに集まった。 ハリーが口に手を当てるのが見えた。  ルネは、あまりの反応の大きさに不安がつのって、どうしたらいいか わからなくなってきた。
  そのとき、マイルズが動いた。 速足で階段に歩み寄ると、ルネに手を差し伸べた。 
 その頬は、いつもの青白さを失い、少年のように紅潮していた。 ルネはためらい気味に、マイルズの手のひらに手を置いて、そろそろと 階段を降り切った。 
 とたんにマイルズに肩を抱かれた。 いかにも誇らしそうに、 マイルズは3人を順々に見渡した。
「前からうらやましがられていたが、今夜は嫉妬を通り越して憎まれるかもしれないな」
「ほんとに」
  オリヴィアがあっけに取られたようにルネを上から下まで眺め回した。
「やっぱり大陸のセンスなのかしらね。 若いのに優雅なこと」
  ほめられ過ぎで、ルネは冷や汗がにじむのを感じた。 しかし、 心からうれしかった。
 その指に、マイルズがそっと指輪を差し込んだ。 びっくりして手を見ると、 8カラットはありそうな豪華なサファイアが光っていた。
「やっと探し当てたんだ。 君の目の色に合わせて」
  低い声が降りてきた。 ルネは思わず、横にある広い胸に額を押しつけてしまった。


表紙 目次前頁次頁

Copyright © Jiris.All Rights Reserved
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送