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第4章  



 翌日はうっとうしい曇り日になった。 
 ルネは窓辺で針を動かし、 ファン・ヨースはいらいらして、檻に入れられた熊のように歩き回っていた。
「全く面白くない。 ベンの奴は出発してしまったし。 そうだ、堅物の 伯爵をカモにしてやるか!」
  ルネはそれまでろくに聞いていなかったが、最後の一言ではっとして注意を集中した。
「あの方は無理です」
「無理? なぜ!」
  と、ファン・ヨースは皮肉っぽく言った。
「お前をレディー扱いしたからか? あれはイギリス貴族の礼儀というやつさ。
  気取っているだけで、中身は氷のように冷たいんだぞ。 のぼせるんじゃない」


  ファン・ヨースは明け方近くに戻ってきた。 妙に不機嫌でそわそわして、 何度か部屋を歩き回ったかと思うと、眠い眼をこすっているルネに突然言いつけた。
「酒場で会った友人に聞いたが、リュージュの支店に問題が起きているらしい。  すぐ行ってみなきゃならん。 今から荷造りだ」
  不意打ちだった。 ルネはむっつりして荷物をまとめ始めた。
「もう馬車は呼んであるからな。 早くするんだ」
  せきたてられると一層いやになる。 ルネは耐えられない気持ちになり、 馬がつながれ、荷が積み込まれて、今にも出発するばかりになったときに、忘れ物を思い出したと言って降りた。 ファン・ヨースはじりじりして叫んだ。
「さっさとしろ! 走っていけ!」
 
  ルネは、庭木を縫って小走りに進んだ。 伯爵の泊まっている部屋は わかっていた。 1階の右端だ。 
 
   一昨日遅く、ファン・ヨースが いびきをかいている間にルネはそっとベッドを抜け出して、青白い月明かりを 浴びながら窓の下にもたれ、壁一枚へだてたところに寝ている人を、 心の中一杯に思い浮かべた。
  かすかな寝息でも聞こえないかと耳をすませたが、部屋は静まり返っていた。  それでもルネは満足し、後ろ髪を引かれる思いで自室に戻ったのだった。
 
  そして今、そっと小枝を動かして、ルネは窓の中をうかがった。
  部屋の中央に、伯爵が立っていた。 地味だが洗練された仕立ての黒っぽい服 を着ている。 昨夜のままの姿らしかった。
  息を殺して見つめているルネの喉に、熱いかたまりがこみ上げてきた。
(もうこれで気がすんだ。 出発しよう。 騒々しく下品なオランダの屋敷へ)
  ゆっくり向きを変えて歩き出そうとしたとき、背後で窓がきしみながら開く音がした。
 ついで、あっ、という小さな叫び声。

(見つかった!)

  ルネは夢中で走り出した。
  恥ずかしさで、耳まで赤くなっていた。 最後に一目だけ、と思った未練が、 こんなことになってしまったのだ。
  しかし伯爵はルネに先回りした。 石造りの建物の角を曲がったところで、 突然姿を現して、ルネの腕を掴んだ。 そして、固く抱きしめた。
  銀ボタンのついた上着を通して熱い鼓動が聞こえる。 ルネは男の服の すそをぎゅっと握り、目を閉じて彼の体温を味わっていた。
  だが、いつまでもこうしてはいられないのだった。 すぐにファン・ヨースが 迎えをよこすだろう。 心が引き裂かれる思いで、ルネは口から言葉を 押し出した。
「急に出発することになって、それでお別れに…」
  だが、伯爵の腕はルネを離さなかった。 それどころか、更に強く引き寄せた。
「あの男のやりそうなことだ」
  そう低く吐き捨てた後、モンフォートは少し体を離してルネの 頬に手を触れ、やさしく続けた。
「わたしの部屋で待っていてくれ。 すぐ戻るから」
  期待するのは怖かった。 でも、心から熱望して、ルネはうなずいてしまった。 

 伯爵の部屋は、がらんとしていた。 床に荷物が置いてある。  解かなかったらしく、ひとまとめになっていた。 従者は連れてきていないようだ。  伯爵のような身分の人がお付きなしで行動するのは珍しかった。
  数分後、しっかりした足音が近づいてきて、ドアが開き、伯爵が入ってきた。  手に持っている包みを置くと、口が開いて、ルネのドレスがのぞいた。
  立ちすくんでいるルネに、伯爵は静かな声で言った。
「ファン・ヨースから取り上げてきた。 足りないものは後で買えばいい。  わたしたちも今から出発しよう。 いいね」
  あっけに取られたまま、ルネは自動的にうなずいていた。


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