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「やれやれ、髪飾りよりナイフのほうがうれしいとは、さすが母様の娘だな」
 シャルルが腕を上げて嘆いてみせた。 そこへ廊下から粋な身のこなしで入ってきた貴婦人が、その言葉尻を捕らえて、形のいい眉を寄せた。
「私の娘だから何ですって? 聞き捨てならない」
「いや、母様の娘はさすがに凛々しいと」
 あわてて言いつくろうシャルルに、アンリが合の手を入れた。
「そうそう、足は鹿並みに速いし、腕はたくましいし」
「バカなこと言ってないで、自分たちの住みかへ帰りなさいよ。 いい年して実家に入り浸るんじゃないの」
「ひどいなあ。 わたしなんか一ヶ月ぶりに顔を出したっていうのに……」
「俺は半年だよ」
 誰にも聞こえない声で、アンリはそっと呟いた。 だが鋭いエレの耳には達したらしく、大輪のダマスクローズのような顔を振り向けて、透明な光を帯びた瞳でじっと見つめた。
 そのまっすぐな視線が、アンリは苦手だった。 反抗期の頃には、母上はまったく女らしくない! と怒鳴り合いの喧嘩を演じたこともある。 最近では逆に、さばさばした母の態度が懐かしく、こうやってぶらっと舞い戻ってきてしまう自分が不思議だった。
「半年もどこに?」
「視察ですよ。 ラヴェルヌ将軍のお供で、フランドルからスイスを通ってローマまで」
 きらっとエレの眼が光った。
「ヴェネチアは?」
「残念ながら」
「そう」
 心もち母の肩がすぼんだような気がしたので、アンリはもう意地悪を止めることにして、上着の中から頑丈にくるんだ包みを取り出した。
「一日しかいられませんでした。 でも、預かってきましたよ、マルゴ叔母さんの走り書きを」
 たちまちエレの顔が光り輝いた。 マルゴとはエレの乳姉妹で、ふたごのように育った大親友の名前だった。
 引ったくるように手紙を受け取ると、エレは長男の腕を痛いほど叩いた。
「それで届けに来てくれたのね。 ありがとう! 相変わらず素直じゃないけど」
「誰のせいですか?」
 冗談めかして答えて、アンリが椅子に腰かけようとしたとき、庭からつむじ風のように大柄な男性が飛び込んできた。
 それが、この屋敷の主、フランソワ・コンデ公爵だった。 堂々と背が高く、見事な口髭をたくわえている。 髪の毛がたっぷりあるのと、鍛錬のおかげで腹が平らなのが自慢だった。
「なんだ、エレ、ここにいたのか。 探したぞ」
「ねえ、見て!」
 手紙に夢中で目を通しながら、エレが叫んだ。
「マルゴの息子たちが二人とも結婚したって。 あのタンタンとアルマンがねえ!」
「うちのドラ息子どももいいかげん身を固めさせないと」
 フランソワはじろりと、まるで違うタイプの長男と次男をねめ回した。
「おまえら、宮中で何と噂されてるか知ってるか? 二人とも母親を女神のようにあがめていて、他の女など目の端にも止まらないんじゃないか、だと!」
「逆ですよ。 この世のすべての美しい女性を愛したい。 だから一人に絞れないんです」
 アンリがしゃあしゃあと答えた。 一方、シャルルは顔をしかめてテーブルを叩いた。
「一体誰です、そんな道に外れたことを言うのは! 母様は母様だ。 どんなに素敵でも恋人にできますか?」
 阿呆、くそ真面目に怒りやがって――げっそりして、アンリは妹に向き直った。
「おまえもそろそろ恋をしないとな。 母様も大変だ。 子供たちが一斉に適齢期になって」
「他人事みたいに言うな!」
 コンデ公が顔を赤く染めて怒鳴った。
 


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