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12


 ミリアムの前に、闇と同じ色の服を着た人物が割って入ったのだった。 その人物は大きく、樫の木のようにそびえ立っていた。
  素早く起きあがりながら、エドワードはその影に、きしるような声を浴びせた。
「やはりそうだったか! ミリアムが強気なわけだ!」
  影はゆるやかに息を吸い込むと、音もなく巡礼服の頭巾に手をかけ、背中にすべり落とした。 短く刈られた黒い髪と鷲鼻が目に入った瞬間、エドワードは腰を抜かしそうになって、思わずよろめいた。
「その……その顔は……!」
  男は無言で、静かに呼吸していた。 あまり驚いたので、エドワードは声がかすれてしまった。
「こんな馬鹿な…… 貴公は敵方のはず。 それが、なぜここに……!」
  ドアの影で 身動きできずにいたミリアムが、そっと忍び出てきて、ささやくように言った。
「この方は、敵ではないんです」
  エドワードはやっきになった。
「何を言う! 彼はブレーズ・ド・サンジュストだろう? れっきとした敵側じゃないか! それとも、サンジュストを名乗った偽物だとでも言うつもりか?」
「偽物じゃありません。 でも、本物とも言えません」
  エドワードだけでなく、巡礼に身をやつしていた男、実はブレーズ・ド・サンジュストも、顔を振り向けてミリアムを見つめた。
  口も体も震えてうまく声が出せなかったが、必死でミリアムは説明しようとした。
「計画があったんだと思います」
「わかってるさ!」
  じれて、エドワードは低く叫んだ。
「わが領地とエニッドの土地を両方取り上げて……」
「いいえ、本当の目的はリュック・ドラペーズ殿とマルク・ド・ボア・ルージュ殿の領地だったのではないかと」
  辺りが静まり返った。 風が消えたので、お互いの呼吸する音が聞こえるほどの静寂に包まれた。
  5秒ほどして、エドワードの美しい眼がようやく焦点を定めた。
「それでは…… 得をしたのはリチャード王……!」
「ええ、王様だけです。 筋の通らないことをしたリュック殿の城に乗り込んでこらしめ、堂々と領地を取り上げて、領民から喜ばれ、お金と人望の両方が手に入って。 リュック殿はまあまあとしても、弟のラファエル殿とマルク殿は嫌われ者でしたから」
「なんと!」
  エドワードはあいた口がふさがらない様子で、ブレーズに目を移した。
「貴公がリュック達をけしかけたと聞いた。 あれはすべて芝居だったのか?」
  ブレーズは答えなかった。 しかし、反論しないということがすでに、ミリアムの言葉の正しさを表していた。
  目の前の2人をかわるがわる見ながら、エドワードは次第に頭の霧が晴れてくるのを感じていた。
「そうか…… さらったわけじゃなかったのか。 助けたかったんだな。 ミリアムを、マルクから」
  ブレーズの肩が小さくゆれた。 ミリアムは下を向いて目を押さえた。
「私があそこにいたから……この方に気付いてすがりついたから、計画が狂ってしまったんです。 女を連れて逃げたならず者にされてしまって……」
  ブレーズの胸が激しく波打った。 ミリアムは遂に涙声になった。
「サンジュスト様はやさしすぎるんです。 リュック殿は、エニッド姫の婚約者のエドワード様が邪魔だから、始末するつもりだったと思います。 姫もそれが一番心配だったようでした。
  そうなるとわかっていたこの方は、城から森に合図なさった。 たぶん窓を閉めたのがその合図だったのでしょう。 すぐ角笛が聞こえたから。
  姫は、廊下の見張りが一人しかいなかったとおっしゃってました。 それも外へ出たり入ったりだったって。 たぶん見張りは、この方の部下とすり代わっていたんじゃないでしょうか」
  驚きにエドワードの顔は強ばった。
  完全に凪いでいた風が再びわずかに木の葉をそよがせた。 それがきっかけになったように、エドワードは服のほこりをはたき、ぎこちなく言った。
「礼は言わない。 リチャード王は直情径行なお方だ。 こんな手の込んだ計画は立てない。 貴公なのだろう? 黒幕は」
  ブレーズはまばたきした。 エドワードはいまいましげに続けた。
「やはりノルマン人は陰謀家だ。 われわれをだしにして、国王の身代金を調達するとは!」
  そう言い捨てて、エドワードはさっと身を翻し、庭から出ていった。 やがて馬の蹄の音が遠ざかっていくのが聞こえた。

  ミリアムはまだ涙に暮れていた。 ブレーズは意を決して振り向くと、固い声で呼びかけた。
「あなたには済まないことをした。 こんな騒ぎに巻き込むつもりは……」
  突然腕に飛び込まれて、ブレーズの言葉は途中で切れた。 夢中で男の胴に抱きつきながら、ミリアムはしゃくりあげた。
「もう……もうとっくにエルサレムに帰ってしまったと思っていました。 また会えるなんて夢にも……」
「ミリアム……」
  ブレーズは鋭い灰色の眼を閉じた。 瞼がふるえた。
「あなたが好きです」
「ミリアム」
「あなたが好き! 世界がちがうのはわかっています。 あなたを望んでも無理なことぐらい、私にだってわかっています……」
  声が途切れ途切れになった。
「でもせめて一晩、今宵だけ私と……私と共に……お願い……」
  男はしばらく黙然としていた。
  それから軽々とミリアムを抱き上げ、唇を重ねた。


 ブレーズの口が、やわらかくミリアムの肩を噛んだ。 しとねにゆるやかに横たわり、男の熱にぬくめられて、ミリアムは眼を閉じたまま微笑んだ。
  ブレーズは少し体を動かし、ミリアムの横に具合よく収まった。 しかし、しっかりと巻いた腕は離さなかった。
「いとしい娘……この肌はまるで蜜のようだ」
  返事の代わりに、ミリアムはそっとブレーズの胸に唇をつけた。 ブレーズの腕に一段と力がこもった。
「そのかわいい唇は嘘をつかないな? 本心からわたしを想っていると誓えるか?」
「ええ、何を引き換えにしても」
  とたんにブレーズは片肘を立てて上半身を起こし、ミリアムをひたと見つめた。
「それではわたしとグラナダへ行こう!」


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