戦え、イーニッド! 1
スカートを肩で結び、両足を踏ん張って、深い井戸から水桶をくみ上げているイーニッドを見ながら、エドナはいかにも嫌そうに、姉のイヴリンに告げ口した。
「あの子、スカートの下に男用のタイツ穿いてるのよ。 信じられる?」
「馬にだってまたがって乗るのよ!」
悪魔に魅入られたとでも言いたそうに、3女のエフィが声を低めた。 とたんに、ドレスをつくろっていた4女のエスターが小声で言い返した。
「それどころか、あの子裸馬に飛び乗るのよ! それも後ろから!」
ぞっとして、4人の姉たちは顔を見合わせた。
「あの子、ほんとにお父様の子? 取りかえっ子じゃないの?」
「顔だって私たちに似てないし」
実はイーニッドが最も父親似なのだが、この際4人はそんなことは無視した。
少し距離は離れていても、姉たちの視線はちらちらと感じ取れる。 すらりと伸びた腕に力を込めながら、イーニッドは内心溜め息をついた。
普通、末っ子は可愛がられるものだ。 しかし、イーニッドは例外だった。 生前の父が、自分そっくりの末娘を大事にしすぎたためかもしれない。 その父、ロムニー男爵ゴトフリーが戦死した後、姉たちはいつの間にか団結してイーニッドを仲間外れにするようになった。
おそらく次女のエドナが糸を引いているのだと思う。 証拠はないが。 エドナは昔から泣き虫で陰謀家だった。 父が町から土産に買ってくるメノウの髪飾りが、きちんと分けたはずなのにエドナの部屋で2個見つかったことがある。 イヴリンが婚約者からもらったレースの手袋が、なぜか屋根の上で埃にまみれていたことも。 エドナはカケスが窓から持っていったのだと主張したが、イーニッドには察しがついた。 きれいな手袋がほしくてたまらなくなったエドナが、屋根裏でこっそり手にはめていたら誰かが上ってきたので、あわてて屋根に放り上げて、それきり取れなくなってしまったに違いない。
幸か不幸か、イーニッドは令嬢たちの中で一番背が高かった。 おまけに、決して逞しい体型ではないが、腕力はあった。 そのおかげで、父なき後の力仕事は何かと回ってくるようになり、扉のきしみ直しから始まって、ベランダの柵、納屋の窓、今では馬小屋の屋根まで修理させられている。 タイツをはかないでどうやって屋根まで登るんだ、と、イーニッドは姉たちに訊いてやりたかった。
つまり、ロムニー館には人手が決定的に足りなかった。 下男は、いるにはいるが既に60歳を過ぎ、日向で口をもぐもぐさせながら犬を呼び集めるぐらいしか能がない。 下女は母の田舎から来ている一人だけ。 料理番は名ばかりで、村からの通いだった。
戦乱に荒れたこの世の中で、家長を失った館はどんどん傾いていた。 財産を食いつぶすという意味だけでなく、実際に家が斜めにかしいできているのだ。 窓が開かない、納屋の床が沈む、屋根のこけら板がボロボロすべり落ちてくる、などというのはもはや日常茶飯事だった。
そのたびにイーニッドが槌を持って直しに行くのだが、もう限界だ。 あてにしていたイヴリンの婚約者のエグバートまでがフランスでコレラにかかって死んでしまったので、年ごろの娘5人を抱えて、母のヴァレリーは途方にくれていた。
春とは名ばかりで、まだ吹き過ぎる風が冷たさを失わない4月中旬のその日、大きな大黒頭巾に羽根を差し、ぴたりとしたタイツと先の反った靴をはいた若い男が、2人の供を連れてロムニー館の庭に降り立った。
それがイーニッドの、新しい人生が始まる日となった。
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