表紙

真実のことば

 2


 あざけるようなことを言った子の話し相手は、早くも友を裏切って、上ずった声で言い訳した。
「私はそんな失礼なこと、しなかったわ」
「そんな専用テーブルもないしね」
 穏やかに口を入れたのは、静かに紅茶を飲んでいたアンディ・シンクレアだった。 その声を聞いて、ケネスが皮肉に口を曲げた。
「そうだよ、アンディはシンクレア財閥の立派な御曹司だ」
 それから親友を振り返って、笑みを優しくした。
「君は格好つけないから、名門の純血だってすぐ忘れちゃうよ」
 アンディは苦笑して、ケネスの腕をぴしゃっと叩いた。
「純血って、僕は馬か?」


 アンディのおかげで、お高くとまった女の子の侮辱は薄れ、お茶会のなごやかさが戻ってきた。
 軽食を済ませた後、大人たちは室内に入って午後の音楽会を聴き、子供たちは中庭でゲームを楽しんだ。 一番盛り上がったのは、お玉に生卵を載せて走る卵リレーで、男女が一組になって渡しあうのが楽しく、また途中で落としそうになるスリルが受けて、大騒ぎになった。
 司会を務めるケネスの従兄弟ヴィンセントが、組み合わせを決めた。 友達のアンディと組みたいな、とマージョリーは望んだが、残念なことに彼女の相棒はケネスになってしまった。
 まず女子からスタートだ。 マージョリーは緊張した。
 ケネス少年は美しい。 いかにも女の子の憧れの的になりそうな容姿だが、それ以上に印象的なのは、性格のきつさだった。
 彼はいかにも負けず嫌いに見えた。 卵を落としたりしたら真剣に怒られそうだ。 マージョリーは芝生のコースを一生懸命にに眺め、でこぼこに足を取られないよう、走路を決めておいた。
 その用心が役に立った。 足の速さは普通だが、最短距離を効率よく走ったおかげで、マージョリーは一歩だけ二位を先んじて、トップで男子の列に飛び込んだ。
 卵をケネスのお玉に落とすときが、もっともはらはらした。 何とかうまく成功したのでホッとして、彼が猛然と飛び出す背中を見送った後、マージョリーはアンディがどうしているか目で探した。
 すると彼は、着飾ったリーナ・コーションから今しも卵を受け取っているところだった。 リーナは興奮して足踏みしながらお玉を傾けた。 そのとたん、不規則な楕円形の卵はツルッとすべって縁を回った。
 落ちる寸前に、アンディがうまくお玉を回転させて中に収めた。 そして、慌てているリーナを慰めるように笑いかけると、急いで前を走る男の子たちを追って行った。


 にぎやかに盛り上がって、卵リレーは無事に終了した。 幸い、転ぶ子は出ず、分厚く刈ったビロードのような芝生でやったので、よそ行きの服を汚すこともなかった。
 優勝したのは、ケネスとマージョリーの組だった。
 リーナが落としかけたせいで、アンディは最初ビリだったのに、見事な走りで二位に食い込み、マジパンのかわいらしいカップを載せたケーキを、ケネスたちと並んで受け取った。
 三位は、あの陰口をきいた女の子の組になった。 ドーン・アダムズというその子は、近くのカズンス通りに大きな屋敷を持つ材木商の一人娘で、甘やかされ放題という噂だった。
 彼女と組んだのは、その近くに住むロイ・ウェクスラーで、運動神経のいいプレイボーイ・タイプ。 一位のケネスはともかく、日頃おとなしいアンディに負けたのが納得できなかったらしく、盛んに悔しがっていた。




 その日に招かれた子供たちは、将来のフィラデルフィアの社交界を背負って立つ名家の紳士と淑女になるべく運命づけられていた。
 上流社会というところは排他的で、狭い。 それから数年経って大人と認められるまで、彼らはいろんな集まりで顔を合わせ、子供なりの小社交界を形作った。


 カップルも幾つか生まれた。 親が認めた恋愛で結ばれる、幸せな二人もいた。 だが、子供たちの意思より親が決める組み合わせもあった。
 マージョリーが直面したのは、そういう婚約だった。 まだ女学校に通っている十七歳のときに、彼女の相手は決められた。 母親と、その親友一家との間で。


 初めて父から婚約成立を聞かされたのは、夏休みでハドソン川上流の避暑地シーダーウッドに行った四日後だった。
 そこは緑豊かな土地で、フィラデルフィアの隣人たちの多くも別荘を持っていた。 マージョリーは、仲良くなったリーナと家族や、もともと気の合うアンディ一家たちと汽車に乗り、何時間も揺られてシーダーウッドに着いた。 そしてその日まで勉強を忘れ、厳格な先生たちの顔も記憶から追い払って、ボート遊びや散歩、宝捜しなどを、広い自然の中で毎日楽しんでいた。
 その日も、新たに近くの別荘を買ったビュフォード家の金髪娘シンシアを仲間に加え、アンディやリーナたちと一緒に湖近くを『探検』する予定で、マージョリーは新しく買ったチェックの散歩服を、鼻歌まじりに箪笥から取り出していた。
 そこへ父からの呼び出しが告げられた。 なんとなく嫌な予感が頭をかすめたが、行かないわけにはいかない。 しかたなく服をベッドに置いたまま、マージョリーは父の書斎へ向かった。


 重々しい本家と違って外の光が大きな窓から爽やかに差し込む書斎で、父は後ろに手を組み、せっかちに樫の床を歩き回っていた。
 マージョリーが軽くノックしてドアを開けると、父は隼に似た顔をサッと上げ、決意を秘めた表情になった。
 そして、手で娘を差し招くと、おごそかに言った。
「おまえの婚約が決まったよ」
 マージョリーはまばたきした。 他にすることが見つからなかった。
 婚約? まだ十七歳になったばかりなのに?
 宙に迷ったような娘の表情に気付かず、というよりは気付かないふりをして、父は続けた。
「お相手はケネス・カークランドだ。 どうだね? 凄いじゃないか。 フィラデルフィアで一、二を争うほどの美男子だし、秀才で働き者だ。 みんな羨ましがるぞ」


 途方にくれたまま、マージョリーは笑顔を作った。 父の得意げな顔を見ると、自慢に思っているのがよくわかる。 マージョリーだって、愛する父を喜ばせたかった。
「どうだ? 嬉しいだろう?」
 さあ……。
 マージョリーの微笑が徐々に力を失った。 嬉しいかどうか、よくわからない。 いや、どっちかというと、気が重いかもしれない。
 いや、それとも違う。 重いのは気持ちではなく、荷かもしれない。 あのケネスの奥さんなんて、とてもじゃないが、うまくやり遂げられそうになかった。
 勇気を奮い起こして、マージョリーは父に尋ねてみた。
「でも、こんなに急に決まって、ケネスは嬉しくないかも」
 父は最後まで聞かず、一笑に伏した。
「そんなことはないさ。 実は三年前から親同士で婚約を内定してたんだ。 ケネスのほうは知っていて、ちゃんと承知してるよ」 




表紙 目次文頭前頁次頁

Copyright © jiris.All Rights Reserved
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送