表紙
 

ラプソディー・1



まぶしい・・・・

  きらきらに磨きあげられた大きなガラス窓から射し込む日の光
  鉛筆をたばねたように寄り添っている細長いビル
  晴れた街角
  そして、ガードレールにもたれ、やわらかな髪をなびかせている、あの男の子・・・・
  ふんわりと視野がぼやける。 久しぶりに好きなことをして過ごしたあとのけだるい午後に、真由羅はぼんやりひたっていた。
(あの子、とっても好み……)
  栗色の髪、茶色の眼、透きとおるような肌、なめらかな顎
  若いっていいな、と思う。 でも顔立ちがしっかりしているから、中年になっても美しいかもしれない。 それなりに味が出るかも
 光の当たるガラスのこちら側だから、安心して見ていられた。 しかし、どうも彼の眼も店内に据えられて、じっと見ている気がする。 偶然だと思いながらも、真由羅はよけい面白がって、彼から眼が離せなかった。
 その子が自分に注目しているとは思いもしなかった。 《目立たない歴》26年ともなると、それなりに筋金入りだ。 透明人間のように、自分は意識されないでのんびりと人を観察できるようになっている。
 余裕なのは、結婚が決まったせいかもしれない。 真由羅は来月、会社の専務と式を挙げる予定だった。
 それにしてもきれい・・・・男の子をじっくり観察して、真由羅は胸にしみるような情感を覚えた。 恋人と待ち合わせしてるんだろうな、と思ったとき、胸がチクッとした。 ほんのちょっとだけ。
(そういう華やかな青春、縁がなかったな)
  未来の結婚相手ははるか年上で再婚、しかも子持ちだ。 両親を15歳のときに飛行機事故で失っている真由羅には、どこかで父親を欲しがる気持ちがあったのかもしれない。 真由羅は落ち着いた静かな生活を望み、相手は楽しい老後を目指していた。

 やがて男の子は視界から消えた。 ぽっかりとあいた空間に、真由羅は寂しい気分になって、改めて気づいたようにコーヒーカップを持ち上げ、冷めかかった中身を一口飲んだ。
  なんだかな・・・・
  小さなため息をついてカップを下に置こうとしたとき、声がかかった。
「ここ、いいですか?」
  何気なく顔をあげて、はい、と答えようとした言葉が喉に詰まった。 すぐ目の前に、今しがたガードレールの横で春の陽射しを浴びていた美しい青年が立っていた。
  彼は、陽炎のように音もなく座ると、エスプレッソを注文してから、長い睫毛を伏せて黒いバッグを開き、映画のパンフレットを取り出した。
  テーブルの上に置かれたそのパンフレットを見て、真由羅は驚いた。 つい半時間ほど前まで見ていたロードショーのものだ。 見終わった感激が抜けなくて、真由羅は喫茶店にひとり入って物思いにふけっていたのだった。
  青年は、真由羅の顔に眼を当てて、さらっと言った。
「この映画、見てましたよね」
  あれ……あの、ちょっと……
  初対面の人とは気軽に口がきけない。 真由羅はちぢまってしまった。
「ええ……」
「結構よかったですよね、特に音響が。 ジェットが落ちるとこなんか、ガーッと音が移っていって、臨場感ばりばりでしたね」
  真由羅はうなずいた。 たしかにそう感じたし、反応しないとますますぎこちなくなる気がして。
  すると青年は身を乗り出した。
「どこが気に入りました?」
  わあ、訊かれた……! パニックに陥りかけた。 だが、思いがけず口が勝手に動いていた。
「あの……ヒロインが川に飛び込むところ」
  青年は笑った。 まるで光がただよっているような明るい笑顔だ。
「ほんと、あそこ面白かった。 霧が出て、三人が道に迷うとこも」
  そのとき注文の品が来たが、話に夢中の青年は目を向けようともしなかった。
「バイク2台で飛ばして、崖から落ちそうになるところも迫力でしたね」
  真由羅はあいまいな微笑を浮かべた。 本当はその場面は大スクリーンで見るとちょっと怖かったのだ。
「映画,好きですか?」
「あなたも?」
  やっと質問できた。 青年は微笑みを浮かべたままうなずいた。
「けっこうDVD借りたりしてます」
「私もときどき」
  ふと話が途切れた。 何かどぎまぎして、真由羅はもうすっかり冷たくなったコーヒーに手を伸ばした。
  青年もエスプレッソを一口飲んだ。 そして、ごくさりげなく言った。
「これから予定ありますか?」
  真由羅は思わず顔をあげた。 これはいわゆるナンパだろうか。 そんなバカな。 ここまできれいな子が、なんで年上を……
「別に……」
「まだ3時ですよね。 どこでも行けるけど……どこに行きたいですか?」
  こんな質問を受けたのは生まれて初めてだった。 真由羅は世界が逆立ちしたような気分になった。
(でえと、でえとだ……!)
  行ったっていいじゃないか、と突然思った。 こんなチャンスはめったに、もとい、一生ないにきまっている。
(ふらふらついていったら最後、空きビルに連れ込まれて高額商品を押し売りされるか、高値のパーティー券を買わされるか、麻薬を打たれてマワされるかも……)
  心の声が恐怖を誘ったが、どうしてか、その日の真由羅はひるまなかった。 すごく、すごく彼と行きたかった。 だから言葉に出してしまった。
「サンシャインの……水族館に行ってみたい……です」

 ひとりでだって行けるのに、足を踏み込んだことのない場所だった。 テレビ番組で見て、絶対デートスポットだと思い込んでいた。 実際は子供連れがたくさんいたが、やはりカップルが多い。 気さくな青年が触れるほどかがみこんでくるので、真由羅はちょっとどきどきした。
  アーチ型の水の壁は、想像以上に迫力だった。 ゆらめく光の反射で顔に縞模様がつく。 真上をハスの葉に似た形のエイが通った。 細い尻尾がユーモラスだった。
  ふたりは小さな歓声をあげたり、ちょこっとしゃべったりするだけで、たいていは魚に見とれていた。 一時間があっという間に過ぎ、そこで真由羅は我に帰った。
  楽しい。 楽しすぎる。 今日は初体験ばかりだが、特にこの気楽さは危険だった。 こんなに美形なのにそばにいてくつろげるなんて。 話している間だけじゃなく、黙っているときにさえ気まずさを感じないなんて……!
  不意に真由羅が立ち止まったので、青年も足を止めた。
「疲れました?」
「え? ええ」
  なごんでちゃいけない。 伸びきったゴムが手を離すと縮むように、真由羅は一気に現実に戻った。
「もう行かないと」
  我ながらそっけない。 だがそのほうがいいと思った。 青年がなぜ誘ったのか全然わからないが (たぶん暇つぶしだったんだと思うが) それでもここらで打ち切りにしたかった。 後が怖いという気持ちだった。
「どこへ?」
  相手は余裕で尋ねてくる。 真由羅より世慣れていた。 ずうずうしく感じさせずにやわらかく踏み込んでくる。 真由羅は困った。
「ええと、デパ地下でちょっと買い物」
「ああ、それいい。 たまに腹すいてて金がないと、試食コーナーはしごすることがあるんです。 荷物持ちしますよ。 くるまもあるし、家まで送ります」


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