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心の刻印 18


 ロジャーは呟くように続けた。
「肺結核はうつる病気だ。 よほどの覚悟がないと一緒には暮らせない。 長年面倒を見てきたわたしでさえ、ちょっと咳き込むと、伝染したんじゃないかと不安で眠れない夜があった。
  わたしのことを鬼だと思っただろうが、できるだけ弟の病室に入れないようにしたのは、君にうつしたくなかったからだ」
  トリシーはうつむいて、そっと尋ねた。
「メグとアランは天国で逢えたと思う?」
  ロジャーの口髭が小さく震えた。
「ああ、アランは生前ほとんど何の罪も犯さなかったからな。 望みは必ず叶うはずだ。
  だがわたしは……弟の体は守ったが、気持ちを踏みにじってしまった。 この後悔は、たぶん一生続くだろう」
  フィリスの言ったとおりだった。 ロジャーはメグを去らせたことで、後悔という心の傷を負っていた。 作戦を間違えたのを、おそらくすぐに悟ったのだろう。
  直接慰める代わりに、トリシーはさりげなく言った。
「愛する人が死ぬと、自分を責めたくなるわね。 あのとき引き止めていたら、あんな喧嘩をしなかったら…… でも人は、そう言うことで自分を慰めているのかもしれないわ。 私にも運命を変えるチャンスはあったんだって……
  本当に変えられたかもしれないし、同じだったかもしれない。 それこそ誰にもわからないことよ」
「君も自分を責めたのか?」
「ええ、もちろん」
  トリシーは固く眼をつぶった。
「出征する婚約者をなぜ引き止めなかったんだろう、なぜもっと早くメグを探して引き取らなかったんだろう…… 考え出すと、今でも眠れなくなる」
「人はみな罪人か」
  ロジャーの手が、救いを求めるように空中に伸びた。 その指を、トリシーがぎこちなく掴んだ。
  トリシーの手に唇をつけると、ロジャーはささやいた。 その声は、アランに話しかけていたのとまったく同じ、優しくてどこか寂しげな響きだった。
「こんなことを言うとまた君を怒らせるかもしれないが、君がメグでなくて、本当にうれしい。 気がついたら弟の恋人に惚れていた自分が許せなかった。 君がアランしか愛さないと言ったときは、たまらなく苦しくて……」
  涙ぐんだトリシーを、ロジャーが引き寄せ、二人は床の上で抱き合った。 お互いの体温が、不思議なほど暖かく感じられた。




 半年の喪が明けた五月、2人は正式に結婚した。 もっともその前から夫婦同然の暮らしをしていて、式の日にトリシーは妊娠5ヶ月だったので、ウェディングドレスのドレープやプリーツでごまかすのに、デザイナーは大骨を折った。
  意外にも、ロジャーは穏やかな良い父親になった。 彼は、2年おきに生まれた二人の男の子、ダリルとグレンを可愛がるだけでなく、養女にしたトミーにも深い愛情を注いだ。
  フィリスも、妻を得て思いやりが出てきたロジャーの恩恵を受けた。 トリシーの推薦で、彼女が卒業した自由主義の女学校に入れることになったのだ。 もう退屈な家庭教師の講義をたった一人で聞かなくてもいい。 新しい友達と生き生きした空気の待つ学校に、フィリスは大喜びで出発していった。
  ただし、ロジャーとマッカラム・ギャングたちとは相変わらず小競り合いが続いた。 10数年先にピップがトミーに求婚したときは上を下への大騒ぎになるのだが、それはまた別の話。

  愛は育てるものだということを、トリシーは実感した。 半年、1年と経つうちにガーランド屋敷はトリシーを受け入れ、日に日に住み心地がよくなっていった。
  もちろんトリシー自身の努力は大きかった。 しかし、それだけではなかった。 何よりもロジャーの愛が、彼女を常に包み、護っていた。 日により、週により、変幻自在に姿を変え、ときには歪んだり縮んだりする愛の形だけれど、手を伸ばせばいつもそこにあって、トリシーの心を暖め続けた。
  だからトリシーもロジャーを愛した。 安心して彼に寄りかかり、信じた。 2人の合言葉は、『年を取ったら、仲よく喧嘩しながら暮らそう』。
  どんな大立ち回りをやっても、その後かならずこの言葉で、ふたりは笑い出して仲直りできるのだった。


〔終〕





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