表紙へ

Chapter U-1


 パリのフェルー通りにある石造りの屋敷の中庭に、栗毛の馬が一頭、並足で入っていった。
 馬からひらりと飛び降りた青年は、急いで出てきた馬屋番に手綱を渡しながら、やや沈んだ響きのある澄んだ声で尋ねた。
「わが妻は家にいるか?」
 馬屋番の若者は、手綱を持ち替えた手で屋敷の横手を指した。
「さっき、あちらの庭園へ行かれました」
 はきはきしたその答えを聞いて、かすかにしかめられていた青年の眉が、なだらかな線に戻った。
 彼が蹄の音を響かせて門をくぐると、妻のポーレットはいつも聞き分けて、窓から顔を出す。 少し長い外出だと、嬉しそうに玄関や裏口から飛び出てきて、パトリスに抱きつくのだった。
 それは、正式に結婚して一ヵ月半で、すでに習慣となっていた。 笑顔と抱擁で迎えられると、いかにも家に帰ってきたという喜びと安心感にひたれる。 家庭の味をほとんど知らないパトリスにとって、それは天国に一番近い感覚だった。


 取るものもとりあえず、パトリスは低い塀に囲まれた庭園に向かった。
 庭は幾つもの長方形に仕切られ、手入れが行き届いていた。 細い生垣に囲まれた小道を往くと、やがて小さなハミングが聞こえてきた。
 嬉しくなって、パトリスは足を速めた。 そして小道の角を曲がったとたん、たおやかな姿が見えた。
 ポーレットは、大きな帽子を被っていた。 六月末の眩しい太陽から肌を守るためだろう。 前かがみになって雑草を抜いていたが、やがて腰を伸ばすと、南風で麻のスカートがひらひらとはためいた。
 パトリスが声をかける一瞬前に、ポーレットのほうが気づいた。 彼を見たポーレットの眼に光が点り、口が愛らしく開いた。
「パトリス!」
 そのまま転がるように駆けてきた妻を、パトリスは両腕で抱きとめ、ぎゅっと胸に包みこんだ。
「一日早く帰れたのね。 よかった!」
 喜ぶポーレットに頬擦りしようとして、帽子が顔に当たったので、パトリスはその大きな邪魔物を取り去って生垣に放り投げた。
「実は無理を言って帰ってきたんだ。 ある情報を耳にしてね。 君が真っ先に知りたいだろうと思って」
 微笑みながらパトリスの金髪を愛撫していたポーレットが、真顔になった。
「情報?」
「そうだ。 いい知らせになればいいと思う。
 去年の三月末、サン・マロの海岸近くで、船が座礁したそうだ」
 そこで一旦言葉を切って、パトリスはポーレットが衝撃を受けないように、胴をしっかり支えた。
「バーバリー海賊の船ではないかと言われている。 ジブラルタル海峡から地中海に入り、立ち寄る港々で毛織物や宝石と奴隷を取引する輩だ」
 

 ポーレットは、まず驚き、目を裂けるほど見開いた。
 それから、小さく震え出した。 恐れと期待の入り混じった、複雑な感情が心を覆った。



Copyright © jiris.All Rights Reserved
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送