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星並べ 25


 賢明にも、母と息子との感激の再会にエドナは立ち会わなかった。 居間でエルシーを膝に乗せ、低くやさしい声で、買ってきたばかりの絵本を読んでやっていた。
  そうしている間にも爪先からじわっと熱がひろがってくる。 たとえようのない幸福感が全身を満たすのは、時間の問題だった。
 
  半時間近く経ってから、ブライアンとジョアナは腕を組んでキッチンから出てきた。 どちらの顔も輝いていた。
  エルシーはまだ大きな青年になじめないらしく、丸い目で動きを追っていた。 ブライアンは少女に微笑みかけ、ゆったりと椅子に座って息をついた。
「よく夢に出てきたよ。 この部屋、あの暖炉、壁紙の模様まで」
「本当に非人間的ね。 戦争が終わってもまだ任務を解かないなんて」
  ジョアナの口元に硬い皺が寄った。 ブライアンはそっとその肩を腕で覆った。
「ハインツ・ベルガーという貴族出身の若者は実在したんだ。 彼は、ドイツ協力者ということでアメリカから強制退去処分を受け、ドイツに向かう船の中で喧嘩で殺された。 僕と似ているのは背丈と髪の色ぐらいだが、ずっとアメリカ暮らしだったからオーストリアでは顔を知られていない。 それで僕が入れ替わって潜入するよう命じられたんだ」
  ブライアンの顔が厳しくなった。
「ところが何の因果か、僕はあの悪党、シュタインメッツァーに気に入られ、二等書記官から一等書記官に格上げになった。 すると英国の本部でも欲が出て、このまま探らせておけということになってしまった。
  僕は強引に休暇を取ってイギリスに帰った。 任務を続けるにしても絶対その前に君と結婚しようと決めていた。 だがサザンプトンに大学時代の友人が待っていて、エドナはしびれを切らして他の男のところへ去ったと言ったんだ」
  エドナの眼が裂けるほど見開かれた。
「うそ! そんなの嘘よ!」
「ああ」
  と、ブライアンは元気なく言った。
「今になるとわかる。 そいつも当局の人間だったんだ。
  だが、学校時代はいい奴だったんで、僕は思わず信用してしまった。 何しろ、ピンボケだが君が男と寄り添って歩いている写真まで用意していたから」
「ひどすぎるわ!」
  エドナは声を振り絞って叫んだ。 エルシーがおびえて泣き出したので、ジョアナが急いでボンボンを持ってきて、手に握らせた。
「大丈夫よ。 よしよし」
  ブライアンは視線を床に落として話を続けた。
「4年は長い。 君が心変わりしても責めることはできないと思った。 でもエルシーは僕の子だ。 君から受け取った最後の手紙に、かわいい女の子だと書いてあって、会いたくてたまらなかった」
  声が一段と低くなった。
「あの写真の男は、トビーだったのかな」
  エドナは髪が乱れるほど激しく首を振った。
「そんなわけない! 彼に初めて会ったのは40日ぐらい前だもの。 彼は、なんていうか、仕事仲間だったの。 でも手ひとつ握ったことはないわ。 彼だけでなく、他のどんな男の人ともよ。 信じて!」
  しばらくじっとエドナの眼に見入った後、ブライアンは緊張を解いた。
「信じるよ」
  そして手を差し出して、エドナの指にやさしく触れた。
 

 その夜、2人は実に6年ぶりに、情熱の一夜を過ごした。
  いくらか痩せて、いっそう筋肉質になったブライアンの腕に体を預けて、エドナは眼を閉じた。
「昨夜は、あなたが心配でほとんど眠れなかった。 あの後、どうなったの?」
  頬ずりしながら、ブライアンは話し出した。
「直接本部へ行った。 またごまかされないようにね。 そして直談判したんだ。 予定外の暗殺だが、シュタインメッツァーは最近欲ばり過ぎて手におえなくなってきていたから、むしろ絶好のタイミングだったんだ。
  だから僕が殺したことにした。 シュタインメッツァーがイギリスのスパイ網を敵に売ろうとしたから口封じをしたと、そう言ってやった。
  本部は信じた。 もう『ハインツ・ベルガー』が使えないことも理解した。 だから解剖用の遺体に僕の燕尾服を着せて、海に落としたんだ。 明日の朝刊に大きく載るはずだよ。 高官殺しの犯人、逃げ切れないと悟って飛び込み自殺、と」
「もうあなたの身には危険は及ばないの?」
「レインフォートのブライアン・マーシュと、オーストリア人のハインツ・ベルガーには何の接点もない」
「安心していいのね」
「そうだ」
  それでもエドナはなかなか寝付かれなかった。 目を覚ましたらすべて夢で、ブライアンはどこにもいない。 そんな日々が長すぎたので、不安がどうしても消えなかった。

  だが、翌朝目を開いたとき、長い睫毛をした青い眼が、じっとエドナを見守っていた。 そして視線が合うと、幸福そうに細くなった。
  「やっと起きた。 ねぼすけさん。 もう20分もこうやって見てたんだよ」
  エドナは言葉では答えなかった。 両腕を一杯に伸ばして、大好きな人の首にしっかりと巻きつけ、激しく引き寄せた。
 


(終)


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