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秘密・2
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-1-
「すばらしい手際でしたよ」
「さすがは院長の跡継ぎだ」
「あの新しい技術をあそこまで使いこなせるとは!」
まだだ、明日にならなければ患者が生き延びるかどうかわからない、と自分に言い聞かせながらも、聡〔さとし〕は胸がふくらむのを感じていた。 至福のときは稀にしか訪れない。 味わえるときにじっくり味わわなくては……
「おめでとう」
聞き慣れた声が耳をついた。 まだ手術後の高揚感が抜けず、うきうきと早足で廊下を歩いていた聡は、ぐっと気分が沈むのを感じた。
おいおい……
顔を上げると、予想通り浩輔〔こうすけ〕が302号室の入口に寄りかかっていた。 すでに脳腫瘍手術の成功を誰かから聞いたらしい。
しかたなく、聡は口元だけで微笑を作った。
「ありがとう」
浩輔がにやっとするのが見えた。
「婚約おめでとう!」
聡は一瞬目をつぶった。 初めて会ったときから17年間、何度殴ってやりたいという衝動に駆られたことか。 この皮肉っぽく頭の切れる小悪魔は、常に聡の先を行っていた。 普通に話しているようで、後で考えると二重の意味にはたと気がつく。 直接的な悪口はいっさい言わないだけに、正面切って喧嘩するわけにもいかず、聡のストレスは溜まる一方だった。
だから自然に声が厳しくなった。
「めでたいもんか。 政略結婚が」
「じゃ、代わってあげようか。 雅美さんは美人だし、金持ちだし」
「いいよ。 本人がそれでいいって言ったら」
浩輔の顔から微笑が消えた。 初めて義弟を白けさせたのを知って、聡はちょっといい気持ちになり、そのまま歩み去った。
*〜*〜*
赤と茶色のタクシーに素早く乗り込むと、、鮎美〔あゆみ〕は身を乗り出すようにして斜め前の車を指差し、中年の運転手に言った。
「あれについていってください」
おや、という顔で、運転手はちらっと振り返り、それからステアリングを回して鉄青色の外車の後ろにつけた。
娘はきらきら光る眼をじっと青い車に据えている。 興奮で血行がよくなって、頬が燃えるように赤かった。
外車は急ぐ様子はなく、制限速度を守って道玄坂を上った。 タクシーもなめらかに後に従った。
やがて外車は、白い三角ビルの地下駐車場に吸い込まれていった。 窓に顔をくっつけるようにして確認すると、鮎美は急いで車を降りようとして、運転手に引き止められた。
「1280円」
「あ、はい」
上の空でバッグを探ったとたん、鮎美はぎくっとなった。 ない。 財布が、ない!
今朝新しいバッグに入れ替えるときに、一番肝心なものを入れ忘れたようだった。
運転手の口が曲がった。
「どうしたの?」
「あの…」
鮎美は自分が信じられなくて、もう一度バッグを大急ぎでかき回した。 しかし、もともとないものが空中浮揚で現れるはずもなく、進退窮まってしまった。
こうなったらまた乗って、自宅に帰ってもらうしかない。 万札が飛ぶ! 鮎美は頭を抱えたくなったが、自分がうっかりしたのだからと反省しつつ、再び車に戻ろうとした。
ほとんど同時に、運転席に2枚の札が差し出された。
「はい、2千円」
運転手と鮎美はどちらもびっくりして、札を持つ手にまず視線を置き、それから腕,顔と上げていった。
そこには、黒皮のコートとジーンズ姿の青年が立っていた。 鮎美はバネのように体を動かし、車内から一気に外へ上半身を抜いた。
「いいです。 私これから……」
「釣りはいらない」
そう言い残すと、青年はさっさと歩き出した。
「どうも」
という言葉を残してタクシーはさっさと遠ざかる。 どちらを追おうか一瞬鮎美が迷ったときには、どちらも追いつけない状態になっていた。
それでも鮎美は青年めがけて走りながら呼びかけた。
「お金返すから名前教えて!」
振り返りもせずに、青年は答えた。
「いいよ、面倒くさい」
「そんなのだめ!」
息を切らしながら、鮎美はがんばった。
「今は持ってないけど必ず返すから」
「いいって」
青年は、さっきの青い外車が入っていった地下駐車場に降りていった。
そして5分後、その車に乗って、出ていった。
*〜*〜*
その年は、加川病院にとって厄年だった。 腕のいい医者がよくわからない理由で2人も去るし、ナースの入れ替わりも激しく、10月には4人も欠員ができていた。 こんなに多くては、他の持ち回りでやりくりするわけにもいかない。 1年に3度も臨時募集か、とぼやきながら、事務員があちこちに公告を出した。
鮎美が待合室に走りこんだとき、前にはずらっと7人の女性が座っていた。 しまった、広告を見るのが遅すぎた、と思いながら、ソファーの端に腰を下ろそうとすると、右隣の赤いブラウスを着た娘が、顔をじろっと見て言い捨てた。
「合格ね」
「え?」
鮎美がよくわからなくてその娘と視線を合わせると、彼女はぶっきらぼうに説明した。
「ここの役員会はね、顔で採るの」
そんなばかな、と鮎美は半信半疑だった。 しかし、7人目で、半ばあきらめながら面接室に入ったとたんに、3人の中年男性に満面の笑みで迎えられ、
「採用します」
の一言で決まった。
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