僕の選んだ人・1――もてまくりの青年が、なぜか堅物女を追いまわす 表紙へ行く
 

僕の選んだ人 1



 彼だったらどんなに高望みしても、たとえ『ミスK大』にアタックしても、その場でOKだろうと、学生時代から言われていた。 顔立ちがそんなに整っているわけではない。 しかし、眼の美しさは群を抜いていた。 その眼でじっと見つめられたら誰だって腰が抜けてしまうと、バーのホステスが噂したほどだ。
  それに、声だ。 精悍な顔にそぐわない、深く上品な声なのだが、そのミスマッチが逆に女心をそそるらしかった。
  自分ではあまり意識していないその魅力のおかげで、真樹〔まさき〕は学生のときも社会人になってからも、有形無形の恩恵を受けた。 講義を休んだって誰か(ときには複数・すべて女子)がノートを取っておいてくれる。 昼食・夕食には降るように誘いが来る。 真樹さえその気になれば、一週間毎晩ちがう女性を相手にできたかもしれない。

  しかし…

  榎田〔えのきだ〕真樹が『固い』というのは、友人の間で定説となっていた。 女子学生を友達にすることはするのだが、決して1対1にはならない。 水商売の女性の誘いには、ごくたまに乗るらしかったが確証はなく、相手も本人も絶対に口外しなかった。 したがって真樹の親友さえ、女のことは何一つわからないままなのだ。

  にくたらしくも最優秀の成績で、真樹は大学を卒業し、期待されていた大学院進学をせずに、父の会社に勤務しはじめた。 周りは驚いた。 
  「勉強以外、あいつに何の趣味があるんだ?」
「ゲーセン行かない、クラブ知らない、ゆうえんちなんてディズニーさえ見たことない奴に、営業なんかできるのか?」
 
  意外なことに、社長の息子と言う肩書きを取っ払っても、真樹は優秀な成績を上げた。 どことなくとぼけた味わいと人なつっこさが受けるらしい。 真樹は中年男性にはかわいがられ、おばさま達にはアイドル視されて、けっこう快適な社会生活を送っていた。
 
  少なくとも最初の2,3年はそうだった。 それからだんだん雲行きが変わってきた。 というか、雲が一段と吹き寄せられて、周りを二重三重に取り巻きはじめた。
  心配した大学時代からの悪友、桜庭篤〔さくらば あつし〕が忠告した。
「おまえにその気がなくても、回りはほっとかないぞ。 八方美人しやがって、そのうちおまえの取り合いでスプラッターになっても知らないからな。
  好きな女がいるならさっさと言え。 いないなら、親の喜ぶ政略結婚するか、気心の知れた学校友達から選べよな。 今の調子だと、会社の中で妙なのにつかまりそうだよ、どう見ても」
  謎めいた微笑を浮かべて、真樹は応じた。
「心配いらない。 もうターゲットは決めた。 そろそろ接近しようかと思ってるんだ」

  高城紗絵〔たかぎ さえ〕は、人事課の窓際――場所が窓の近くだというだけで、他に意味はない――にきちっと座って、コンピューターで書類作りをしていた。 引っつめにした髪をぐるりとピンで留めている後ろ姿は、まるで銀行の金庫室の扉。 一本の後れ毛も許さないふうに見える。 ドアが開いて誰か入ってきたが、見向きもしなかった。
  その誰かは、周りに広く空間を取っている高城の背後に立って、やわらかい声で話しかけた。
「高城さん、ですね」
  仕方なく手を止めて、紗絵は肩越しに振り返った。 青白い顔に化粧っ気はなく、茶色の眼鏡が半分ずり落ちて眼にかかっている。 レンズの下から、無関心な視線が男の眼をまともに見返した。
「はい、何か?」
  男はまばたきして、ちょっと照れたように口ごもった。
「あの…近くにカレー店が開店したの知ってますか?」
「いいえ」
  ただ一言、ぶつ切りのような答えだ。 少し間があいた。 男はめげずにまた続けた。
「けっこう値段のわりにおいしいんですよ。 昼食まだでしょう? 行きませんか?」
「行きません」
  早すぎも遅すぎもしない、ちょうど適度な間合いを持った返事だった。 紗絵はまた机の方に向きを変え、断固として点検を再開した。
  男は去らなかった。 紗絵の隣に椅子を引いてきて腰を下ろし、人なつっこい調子で言った。
「じゃ、いつも通り食堂へ行きましょう。 もう昼食の時間だから」
  そのときドアが開いて、若い女子社員が入ってきた。 男の姿を見てぎょっとなっている。
   高城紗絵はその娘を見るとすぐ立ち上がって、トントンと書類を叩いて角をそろえ、さっと手渡した。
「これ、増川係長のところへ」
「わかりました」
  ちらちら男のほうをうかがいながら、女子社員はぎこちなく言った。
「あの、榎田さん、ですよね」
「そうですよ」
  榎田真樹はあくまでも爽やかに答えた。 とたんに娘はぽっと赤くなった。
「ああ、あの…企画部の峰山です」
「どうも」
「あ、あのですね、こ、今夜『たぬき山』で飲み会やるんですけど、来ませんか?」
「今夜、っと」
  ちょっとすまなそうに、真樹はほほえんだ。
「わるい。 5時から佐々木興業さんと、これ」
  彼が馬を駆る仕草をしてみせたので、峰山祐子はびっくりした。
「乗馬、ですか?」
「いや、トワイライト競馬。 佐々木さんの持ち馬が出走するんだって」
  そういう付き合いも営業のうちだった。 祐子はかわいらしく頭をかしげた。
「たいへんですねえー」
「馬って、ライトが当たると光ってきれいだよ」
「へえ、一度見てみたいっ」
  祐子は子供のようにはしゃいだ。
「連れていってくれませんか?」
  微笑を残したまま、真樹は軽く受け流した。
「いつかね」
「いつですか?」
  意外に押しが強い。 真樹はまったく表情を変えずに、さらりと言った。
「そうだな、僕に彼女ができて、君に彼ができたら、4人で行こうか」
  祐子の顔がお預けをくった仔犬のようになりかけたとき、冷ややかな声が割り込んできた。
「お昼食べに行くんで、どいてください」
  無表情にドアへ向かう高城紗絵を見て、真樹もあわてて後を追った。
「僕も行きますよ」
  ひとり残された祐子は、閉まったドアを眺めて首をひねった。
「高城さんに会いに来た…? まさかね」
 

 真樹を振り切ろうとして、紗絵は急ぎ足で歩いたが、股下90センチはあろうかという男を置き去りにするのは難しかった。 楽々と並んで歩きながら、真樹は話しかけた。
「いつもフライ定食を食べてますね。 飽きないんですか?」
  「別に」
  眼鏡を光らせながら、紗絵はそっけなく答えた。 顔はまっすぐ前方に向けたままだ。
  そのとき不意に、暖かい手が紗絵の右手を包んだ。
「たまには違ったことをするのもいいですよ。 一緒に行きましょう、カレー屋へ」
  静かに、しかし断固として、紗絵は男の指から手首を抜き取った。
「食堂がいいです」
「じゃ、僕もそうします」
  紗絵はじっと男の顔を見た。
「一人で行きたいんです」
「どうして?」
  紗絵の口元に固い皺が寄った。
「一人で食べるのが好きなんです」
「僕はあなたと食べたいな」
  紗絵の足が、床に張りついたように止まった。
「お断りします」
  心なしか、声が震えている。 怒りかけている様子だった。
「一人で食べさせてください。 お願いです」
  そう言うなり、紗絵は手近な女子トイレに突進していった。

 翌日の朝、紗絵が駅の階段を下りていると、後ろからダダダダーッというつむじ風のような音がとどろいてきて、間もなく背の高い姿が横に並んだ。
「おはよう!」
  軽く頭を下げて、紗絵は足を速めた。 昨日と同じに、真樹も速度を上げてついてきた。
「今年は冬が早いかな。 こんなに風が冷たい」
  紗絵は何の反応も示さなかった。 真樹は意に介さず、明るい口調で話しつづけた。
「東ヨーロッパは大寒波が来たとき、庭にヤカンから熱湯を撒いて、氷のラインができたそうですよ。 東京はそこまで行かないから助かる」
  まだ紗絵は無反応だった。 真樹が尋ねた。
「夏と冬と、どちらが好き?」
  ややあって、紗絵はしかたなく答えた。
「どちらも嫌いです」
「じゃ、春と秋は?」
「どっちも好きです」
「じゃ今は好きな季節だ」
  突然紗絵は立ち止まった。
「榎田さん」
「はい」
  男は素直に返事した。
「私に何のご用ですか?」
  単刀直入な問いに、真樹もずばり、答えを返した。
「結婚を前提に付き合って下さい」
  さすがの紗絵も、こんな答えは予想すらしていなかった。
  少し沈黙した後、紗絵は固い声で言った。
「いやです」
  そして、一目散に走り去った。

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