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三人の花婿 01


 今も結婚は大変だが、二十世紀初頭となればもっとおおごとだった。 しかも花嫁候補が大金持ちも大金持ち、国家予算の三分の二を所有している大公家の姫君となれば。

 タチアナ・ナジェジダ・パブロヴァ・ゴンチャロヴァ公爵令嬢 (あまりに長いので、これからはターニャと呼ぶことにする) は、長く裾を引いた夜会用ドレスを器用に足でさばいて、さっと向きを変えた。
「それで?」
「お美しい方でしたよ、第一候補のドミトリー様は」
 侍女のリーザが言葉だけでは伝えきれずに大きく手を広げて感激を表した。
「鍛えぬいたお体で、肩幅は広く、腰はきゅっと引き締まって、茶色の口髭がつやつやと光ってまして」
「典型的な軍人タイプね」
 そう言いながらターニャはアーチ型の窓に寄り、玄関脇を眺めた。 そこにはピカピカ輝くダイムラーの新車がゆったりと止まっていて、灰色の制服を着た男がてきぱきと点検を行なっていた。
「お父様ったら、また車を買い換えたのね」
「運転手もセットでついてきたようですよ」
 リーザの声が心なしか小さくなった。 ぴんと悟ったターニャはいたずらっぽく笑い、リーザの顔をわざとらしく覗きこんだ。
「へえ、いい男なんだ。 そうでしょ?」
「そんな言葉遣いをなさっちゃいけません」
 律儀なリーザは真面目にたしなめた。
「いやしくもエリタニア立憲君主国の国王様の従姉妹である姫君が、いい男などと」
「じゃ、なんて言えばいい? 凛々しい殿方? 威厳に満ちたお姿? まるでお父様ぐらいのオヤジって気がするわ」
「オヤジ!」
 どこでこんな英語を覚えてきたんだろう。 リーザにはどう考えてもわからなかった。 超一流の家庭教師をつけ、超々一流のお嬢様学校の寄宿舎に入り、これ以上ないという教育を受けた箱入りお姫様のはずなのに。
 霊感でもあるのだろうか、下で車を磨いていた運転手が手袋で口を覆ってくしゃみをした。 それから何気なく顔を上げた。
 たまたままっすぐ首をもたげると、アーチ窓が視野に入る角度だった。 窓枠にもたれかかるようにして、羽根の扇子で顔をあおいでいたターニャは、青年と眼が合ったとたんに、待ってましたとばかりニヤッと笑って扇子を軽く振った。
 青年も微笑して頭を下げた。 彼女が誰だかすぐ察したようだった。
 窓から顔を引っ込めた後、ターニャはご機嫌でリーザに言った。
「そつのない男だわ。 顔も明るくてまあまあだし。 付き合ってあげなさい。 私が許す」
 リーザはぽっと頬を染め、怒ったように言い返しながらコートを出してきてターニャに着せかけた。
「付き合うって、向こうから申し込んでこなきゃ駄目じゃないですか。 私はまだ何も言われてませんよ」
「じゃ、言わせるのね」
 寄宿舎で友達とさんざん練習したウィンクをパチッと成功させて、ターニャは颯爽と広い部屋を後にし、市電が通れるほど幅のある階段を優雅に下りていった。 リーザはつつましやかにその背後に続いた。

 下の広間には、父のアンドレイ・ピョートル・パブロヴィッチ・ゴンチャロフ大公 (以下アンドレイ大公と呼ぶ) が勲章をずらりと胸に並べた軍服姿で娘を待っていた。
「おお、時間きっかりに現れたな。 お前が男子だったらさぞいい軍人になったことだろう」
「私が男の子だったら今ごろ戦死しているかもしれませんよ」
 三年前の領土争奪戦で、エリタニア国は国境付近の国土五分の一と兵士八千人の命をロシアに奪われていた。
 大公は苦々しげに咳払いすると、肘を出してターニャに掴まらせた。
「今夜は仲よくやろう。 花婿の第一候補に会う夜なんだからな。 ドミトリー大尉は評判の美男子で、おまけに射撃と乗馬の名手だそうだ。 きっとお前のめがねに叶うと思うぞ」
「私は横を歩く飾り物が欲しいんじゃありません」
 ターニャは突き放すように答えた。
「ゴンチャロフ家の資産を立派に管理して子孫に残す、しっかりした夫が望みです」
「それは正しい選択だ」
 こいつ、ちっともロマンティックじゃないな、と、久しぶりに会った一人娘を横目で観察して、アンドレイ大公は少し不安になった。


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