表紙

面影 95


 屋敷町とは違い、赤坂界隈は店の前に明るく灯火が点り、出迎えや送り出しの声が晴れやかに響いていた。
「いらっしゃいませ!」
「またのお越しをお待ちしております!」
 次々とすれ違う酔客を見回して、賀川は感心した。
「皆いいおべべを着てござる。 一流どころなんでありますな」
 進藤は答えず、竹垣を横に回った。 そして、塵一つなく掃き清められている裏道に入り、戸をコツコツと叩いた。
 すぐに小走りの足音が近づいてきて、格子戸が引き開けられた。 弾んだ声が、後ろに控えた賀川まで届いた。
「まあ、来てくだすったんですね! 今夜はきっと駄目だろうとあきらめかけていたんですよ。 でも、一番お会いしたい方だから。 ああ、うれしい!」
「入ってよいんか?」
「勿論ですとも! さあどうぞどうぞ!」
 艶っぽい声じゃが、どこぞで聞き覚えがあるような――賀川がにやにやして考えていると、戸口を入りかけた進藤が思い出して振り向いた。
「今夜は供がおるんじゃが」
「あら、その方もどうぞお入りを。 こちらに控えの間がありますから」
「ご無礼させてもらいます」
 上着の前を引っ張って皺を伸ばし、背筋もピンとまっすぐにして、賀川は満面の笑みを浮かべながら進藤の後に続いた。


 翌朝、ゆき子が鏡の前に座って紅をさしていると、お明が廊下を転げるように駆けてきて、縁側にぺたりと座った。
「ゆき子さま、ゆき子さま、大変です!」
 手を止めて、ゆき子はお明に向き直った。
「どうしたの?」
 丸い顔を懸命にしかめて、お明は声を落とした。
「旦那様が」
「進藤様が?」
「はい! お白粉だらけになって、お帰りです!」
 ゆき子は瞬きした。 別に衝撃はなく、むしろお明の怒った様子に可笑しみさえ覚えた。
「宴会に行かれたのだからねえ。 殿御のなさることに目くじらを立てても仕方ないでしょう?」
「でもでもっ!」
 お明の口がへの字になった。
「ゆき子様という方がありながら! 旦那様はどうして、ここにお越しにならないで、あやしげな女子の元になんか行かれるんです!」



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