表紙

面影 90


 進藤もつられて顔を崩した。
「そうなんだ。 とある藩の殿様なんじゃが、惚れてはいかん女子に惚れてしもてな。 仕方なく、我らが似た女子を探しておるわけだ」
 笑うと、進藤はどこか少年ぽくなる。 その邪気のない笑顔に、綾乃は心を許した様子で頷いた。
「まあ、とんだお役目ですね。 お気の毒に。
 それなら、いい人がおりますよ。 山上という置屋さんにいる初音〔はつね〕ねえさん。 私とは姉妹じゃないかと言われたこともありますが、なに、私よりずっと粋で気がきいて、きれいなお方ですよ」
「まっことか? ありがたい。 さっそく訪ねてみよう」
 綾乃から詳しく山上の住所を聞き、進藤は座敷へ引き返した。
 後から運ばれたとっくりを抱え込んで、亀岡はとろんとした目になっていた。
「おいおい、お安くないな。 もうあの小股の切れあがった女将に眼をつけたのか?」
 苦笑いして、進藤は外套を手に取った。
「違うき。 家内に似た女子を教えてもろたんだ。 これから会いに行く」
「ちょっと待て」
 亀岡は無理やり進藤の袖を取って引き止めた。
「これを飲んでからだ。 おぬしも飲め。 無駄にしたらもったいない」
「かなわんなあ」
 仕方なく、進藤も畳に腰を落ち着けて、盃を受け取った。


 結局、亀岡は進藤の分もほとんど飲み、昼前だというのにへべれけになってしまった。 止むを得ず、小女に心づけを渡して世話を頼むと、進藤は一人で山上へ向かった。
 芸者の手配を請け負う置屋というものを、進藤はよく知らなかった。 だから普通に表から行って、出てきた女中に案内を乞うた。
 待っている間、中からは、かすかに三味線の音が聞こえてきた。 それに、あれこれ教える口三味線の声も。
「チントンシャン、ソレトトンノトン。 ちがう、ちがうってば。 ニの糸だよ、しっかりおし!」
「はい、お師匠さん」
 芸妓見習の子が厳しく仕込まれているようだ。 ずいぶん長く続くので、その間自分も待たされているのを忘れて、進藤は三味線の子が哀れになってきた。
「大変やのう」
 そう呟いたとき、抜き襟に手ぬぐいをかぶせた端で火照った顔をさかんにあおぎながら、洗い髪の女が玄関口に入ってきた。
「ふー熱かった。 あのお湯屋は湯加減が熱すぎるよ」
 玄関の奥にぬっと立っている進藤を見つけ、女は足を止めた。
「おや、こんな時間からどうなすったんですか?」
 桜色に染まった顔を一目見て、進藤は反射的に呟いた。
「おう、よく似ておる!」



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