表紙

面影 89


 亀岡のほうは、歩きくたびれていたのだろう、思わぬ誘いにすっかりご機嫌になった。
「それはありがたい。 ちょっと寄せてもらおうか。 なあ、進藤?」
 進藤はためらいつつも、ある考えが頭に浮かんだので、黙ってうなずき、亀岡と行動を共にした。

 招き入れられたのは、小料理屋の裏門だった。 さきほどの小女は、掃き掃除を終えた後に打ち水をしていたらしい。 裏庭も綺麗に掃き清められ、踏み石がリュウノヒゲの間に浮き立っていた。
 案内された座敷には、茶菓が運ばれてきた。
「ここは『なつゆき』という料亭で、私は店を任せられております綾乃〔あやの〕と申します。 お二方とも、乾くまでごゆっくり」
 若い女主人が笑顔を残して部屋を出た後、進藤も席を立って後を追った。 そして、廊下の角で捕まえて話しかけた。
「気を遣わせて申し訳ない。 わしは梅野という参議の秘書をしちょる進藤という者だが、つかぬことを訊いてよいか?」
 温和な物腰で尋ねられて、女主人の綾乃は形のいい眉を上げ、進藤を見返した。
「これはご丁寧な挨拶を、いたみいります。 私で足りますことでしたら、なんなりとお訊きください」
 鈴を張ったように大きな眼を、進藤は真面目に見つめた。
「あのな、この近在に、おぬしそっくりの女子はおらんかな?」

 澄んだ眼が、いぶかしげに瞬きした。
「人探しですか? 私に似た女の方をお探しで?」
「そうなんだ」
 自分の声がこもりがちで聞き取りにくいことを承知していたので、進藤はできるだけ江戸弁を使おうとした。
「できれば芸者衆、さもなくば茶屋の女子でもよいのだが」
 まあ、と言ったきり、綾乃は黙ってしまった。 進藤の真意を測りかねているらしい。 困った進藤は、つい正直に話してしまった。
「おぬしでもよい、というより、おぬしこそ適任なのだが、あんな役目を押しつけるのは気の毒と思ってな」
「そんなに嫌なことなんですか?」
 綾乃は手づから持ってきた盆を下げて、面白そうに尋ね返した。



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