表紙

面影 83


 空気が冷え、星がすぐ手近に落ちてくるように見える寒い宵、火鉢に入れる炭をおこして、お次が持ってきた。
 その後ろから、もじりと呼ばれる外套を着た進藤が、ひょいと顔を出した。
「四日ぶりじゃな。 風邪など引いておらんか?」
「元気にしております」
 ゆき子は慎ましやかに答えた。 それを聞くと、進藤は嬉しそうににこりとした。
「よし。 それならちくっと出かけんか? 今日は七の日で、銀座地蔵の縁日じゃきに」
「そうそう、そうでした!」
 お初が声を弾ませた。
「毎月七の日に決まってやっているんですよ。 そりゃあ賑やかで楽しいですよ」
「お前達も行こか。 戸締まりせにゃいかんな」
「えっ?」
 興奮して、お次は炭挟みを放り投げそうになった。
「お供していいんですか?」
「大勢の方が楽しかろ?」
「まあ、ありがたいことで。 じゃ、すぐお明にも支度させます」
 私の気持ちは誰も訊かない。 ゆき子は可笑しくなったが、進藤が皆で繰り出して楽しみたいというなら否も応もない。 せっかくお次が持ってきてくれた炭だが灰をかけて、支度をするために立ち上がった。


 賑わいは、銀座本来の表通りではなく、ひとつ裏に入った河岸通りで繰り広げられていた。 道の両側には、大傘をかけた小店から、様々な組み立て式の屋台、果ては転びといわれるござを敷いただけの露店まで、一寸の余地もなくひしめき合っていた。
 狭くなった道を、親子連れや職人、商人、それに制服姿の軍人や水兵、粋筋の左褄などが入り乱れ、陽気に話を交わしながら通る。
 ゆき子は人波に呑まれないよう、大きな進藤の背中を盾として、カンテラで眩しく照らされた店々をそっと覗いて過ぎた。
 一方、進藤から小遣いをもらったお明は、はじけ豆の袋を片手に持ち、眼を輝かせてかんざし屋の屋台に屈みこんでいた。
「さあどれでも二本で十文だよ。 胡蝶に桜、しだれ藤。 よりどりみどりで、二本がたったの十文だよ!」
 お初は食べ物に気を取られていた。
「あれあれ、さざえの壷焼きですよ。 じゅうじゅうとおいしそうに焼けていること。
 旦那様、それにゆき子さまも、ずいぶん歩いてお疲れでしょう? ちょっと寄っていきましょうよ」
 進藤はゆき子を振り向いて、優しく言った。
「そうするか?」 



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