表紙

面影 82


 ふたりが話し合った翌々日、進藤は珍しく日の高いうちに家へ戻ってきた。 そして、着替え終わるとすぐ、離れで半襟に刺繍をしていたゆき子を訪れて告げた。
「市中取締隊は解散になるき」
「は?」
 つまり、進藤は職を解かれ、土佐に戻るということなのだろうか。 ゆき子は緊張して、次の言葉を待った。
 きりっとした進藤の口元がゆるんだ。
「だが、国には帰れん。 梅野大三郎〔うめの だいざぶろう〕いう先輩が新政府の参議になるきに、秘書として残れと言われた」
「そうでしたか」
 それはようございました、と言っていいものかどうかわからなかったので、ゆき子はあいまいに答えておいた。 だが、進藤がこのまま東京にいると知って、心のどこかでほっとしたのも事実だった。


 台所では、お次が指揮して関東風のおせちを作り始めていた。 黒豆に栗きんとんに伊達巻。 この時期ばかりは砂糖を惜しげなく使って煮込む甘い香りが、台所に立ち込めた。
 お次とお明は、初め遠慮してゆき子に頼まなかった。 だが、二人で手分けしても忙しそうなので、里芋の皮むきくらいは手伝えるからと、ゆき子は自ら襷〔たすき〕をかけ、手ぬぐいで姉さんかぶりをして参加した。
「いいんですかねえ。 ゆき子様にご面倒かけちゃって」
 お次は気をもんだが、お明は喜んでいた。
「ほんと助かります。 煮かげんを見ててくだされば、ちょっくら買い物に行ってこられますし」
「おや、まだ買いそびれた物が?」
「ええ、押しつまると数の子が安くなるって魚屋の金蔵さんが」
「安くなる前に売り切れたらどうするんだい。 すぐ買っておいで!」
「はーい」
 襷をいそいそと外して走っていく後ろ姿を、お次は溜め息混じりに見送った。
「わざと残しておいたんですよ。 何かと言い訳をつけて出かけたがるんだから」
「若いんだものね」
 ゆき子が穏やかに言うと、お初は眼を丸くして振り返った。
「ゆき子様だって。 あの子と二つか三つしか違いませんでしょう?」
 ゆき子の顔が引き締まった。 そうなんだろうか。 自分がどこの誰で、いくつなのか、まるで見当のつかないわが身を、ゆき子は今更ながらに歯がゆく思った。



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