表紙

面影 81


 ようやく休みが取れたと進藤から聞いたのは、年末が押し詰まった二十一日のことだった。
 彼はまず、家に沢竹鷹庵〔さわたけ ようあん〕という名の知れた医者を呼んでくれた。 鷹庵はかすかに残ったゆき子のこめかみの傷を調べ、耳は不自由なく聞こえるか、言葉はすらすら出てくるか尋ねた後、一つの結論を下した。
「外からの傷で物忘れしたのではないな。 思い出したくないと心に蓋をしたんじゃろう」

 進藤はその診断を聞いても特に反応を示さなかった。 そうではないかと薄々感じていたらしい。
 念のため、官軍に同行していたエゲレス人の医者にも行こうかと彼は言ったが、ゆき子は首を横に振った。 紅毛人はちらほら街を歩いていて、何度か見かけたことがあった。 旗竿並みに背が高く、妙な歩き方をして、顔は赤鬼のようだ。 特にその鼻は……
「あの人たちは天狗です。 近寄りたくありません」
 はっきり言われて、進藤は苦笑した。
「まあ確かに、見慣れん顔だ」
 そこできちんと畳に座りなおすと、ゆき子はずっと考えてきたことを口にした。
「ひとかたならずお世話になりました。 これ以上ご迷惑をおかけするのは心苦しく……」
「国元へ帰りたいか?」
 遮って尋ねられて、ゆき子は身を固くした。
「いえ……」
「戻る言う気がないなら、ここにおれ」
 ひどくあっさりと、進藤は断じた。
「こんなご時世じゃき、みな居候を抱えとる。 お前さん一人ぐらい、どうもない。 藩の屋敷には何十人もおる」
「でも……」
 曲がりなりにも警備の担当者が怪しげな女をかくまっていていいのだろうか。 ゆき子がそう言おうとするのを手で止めて、進藤はにこっと笑った。
「そないなことは行く先を決めてから言え。 わしは何も気にせんからな」



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