表紙

面影 73


 手燭の灯りが薄ぼんやりと障子を照らしながら近づいてきた。 女は布団の中で身を固くし、両手を握りしめて身構えた。 武器は何もない。 しかしせめて目の玉でも引っ掻いて覚悟を見せてやる!
 部屋の前で足音は止まり、静かに障子が開いた。 低い、やや篭った声が呼びかけた。
「寝ちょるか? 入るぞ」
 女は目を閉じたまま動かなかった。

 やがて枕元にどっかりと座る気配があった。 すぐに埃くさいラシャの匂いがただよってきた。
「寝たふりをしてもわかる。 瞼がちくちく揺れとる。 気付いたんなら話してもらおう。 お前さんどこの誰か?」
 女は目を開けた。 だが口は開かなかった。 自分でもわからないことを、どうして答えられよう。
 男は再度尋ねた。
「わしゃ別に取って食わん。 言ってみろ。 すぐ国へ帰してやる」
 その話し方に棘はなかった。 穏やかで、むしろ困っているような響きさえあった。
「こじゃんと金持ち歩いて、拳銃まで持って」
 がしゃっと包みが横に置かれた。
「銃は返せんが、金はほれ、この通りだ。 口ききとうないというんなら、ひとりで帰れ。 気つけてな」
 男は立ち上がった。 灯りも上に持ち上がった。 反射的に、女は早口で訊いた。
「お名前は?」
 男は動きを止め、女を見下ろした。 すっと鼻筋の通った、切れ長な目の若い男だった。
「進藤洋一郎〔しんどう よういちろう〕。 土佐藩士だ」
 土佐…… 聞き覚えのない地名だった。 以前は知っていただろうが、今は霞の彼方だ。 それともこの地がその『土佐』なんだろうか、と女はふと思った。
「ここは……土佐ですか?」
 進藤と名乗った土佐藩士は驚いた様子で、女のほうに身をかがめた。
「いや、沓掛峠近くの百姓家だ。 お前さんどうした? 倒れて打ったときに、頭を痛めたんか?」
 わからない、と答えようとしたとき、目の前に火花が散った。 



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