表紙

面影 69


 川縁に投げ出すように置かれた遺体には、菰〔こも〕がかけられていた。 埋めることを許されない兵士に、せめてもの思いやりだったのだろう。 だが横からはみ出た筒袖の先からは、半ば白骨化した手がだらりと下がっていた。
 無意識に身震いがお幸を襲った。 目を背け、大急ぎで通り過ぎようと足を早めたとき、横の道から不意に声がかかった。
「お幸ちゃん?」

 高い、いかにも嬉しそうな女の声だった。 目を合わせたお幸も、声が弾んだ。
「お葉ちゃん!」
 島田髷に結ってすっかり落ち着いた感じだか、その顔は三味線の稽古に仲よく通った昔なじみのものだった。
 二人は走り寄って手を取り合った。
「驚いた。 お葉ちゃんがどうしてここに?」
「あそこの酒屋に嫁いだんだ。 お幸ちゃんがお武家にお嫁入りしたすぐ後ぐらいかな」
 しっかりとお幸の手を握ったまま、お葉はほっとした様子で付け加えた。
「でもよかった。 お幸ちゃんが元気そうで。 好いて好かれた旦那さんが戸ノ口原で戦死なすったと聞いたときは、本当に心配で」

 お幸の顔から、すっと表情が消えた。 掴まれた手を振りほどくと、お幸は別人のような尖った声で言い返した。
「何を血迷ったことを。 うちの人は元気にしています。 捕虜になって猪苗代へ送られただけ」
 お葉は驚いて、むきになった。
「でもね、一緒に戦った古谷さんというお侍が落ちのびてきて、林田さまの眉間に弾が当たって倒れるのを見たと……」
「馬鹿馬鹿しい!」
 喉が変だった。 自分の声が遠ざかって聞こえた。 目の前がかすんできたが、お幸は必死でお葉の言葉を遮った。
「これからあの人のところへ行くんだから。 差し入れするために尋ねていくところなんだから!」
 お葉は口をつぐんだ。 気の毒そうにお幸を見つめている。 その目に焼かれるような気がして、お幸はさよならも言わずに歩き出した。




表紙 目次文頭前頁次頁
背景:kigen
Copyright © jiris.All Rights Reserved
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送