表紙

面影 68


 留次はお幸の消息を伝えに一度町へ帰り、改めて二人を迎えに来ることになった。
「まだ町は若い女衆の立ち入る場所じゃないです。 ずいぶん女子〔おなご〕が襲われたそうで。 占領軍が肩で風切って歩いていますから、あとしばらく、ここでお世話になっているほうがよろしいと思います」
 名主の坂口夫妻も、すっかり家になじんだお幸たちが離れを使うことに異論はない様子だった。 おせきはひとまずほっとして、その夜は少し寝酒を飲み、ぐっすりと眠った。

 地酒をおせきに勧めたのは、お幸だった。 おせきが寝ついたのを見定めた後、丑の刻を待って、お幸は旅銀と着替え、それにいくつかの饅頭を風呂敷に包み、離れの裏口から忍び出た。
 もう耐えられなかった。 史絵の魂が呼んでいるような気がした。
『戦は終わりました。 どうか息子を探してください。 私にはもうできないのだから。 捕虜になったか、落ち延びたか、傷ついて山野に身を潜めているかもしれない。 あの子たちの安否を確かめなければ、私は死んでも死にきれない』
 それは、亡き史絵の声というよりも、お幸自身の心の叫びだった。
――伊織さま、どこです? 逢いたい。 逢いたい! あなたの顔を見、手に触れ、肩を抱きたい…… 今すぐ、できるだけ早く……! ――


 三日月の下、お幸はひたすら歩いた。 不思議なことに、初めは暗い道でつまずいたりしていたのが、やがて周りの景色が墨絵のようにくっきり見えるようになり、獣の足音や風の唸りにいちいちおびえて、懐の短銃を握り締めることもなくなった。
 よく晴れた夜だったので、星が道しるべとなった。 女の足にしては異例な速さで、お幸は大川に沿って歩きに歩き、翌日の昼下がりには、三本松が望める付近まで町に近づいた。
 川の流れは、一ケ月前とは嘘のように穏やかにゆったりとうねっていた。 すでに北国の秋は深く、そろそろ木枯らしが吹こうかという季節で、地面には色づいた病葉がちらほらと落ちかかっていた。

 最初の遺体に行き会ったのは、船着場が見えてきた四辻だった。 胸を焼くような死臭に、思わず足が前に進まなくなった。




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