表紙

面影 59


 お幸は耳を疑った。
「お義母〔かあ〕さま!」
「見送りご苦労でした。 でも、あなたは元を正せば町者。 武士ではありません。 心身の鍛練ができていない者が城に入っても足手まといになるだけです。 早く去りなさい」
 思いがけなく厳しい言葉は、降り注ぐ雨が銀の矢になったようにお幸の胸を刺した。
 しおれて立ち尽くすお幸とおせきを置いて、史絵は長八を伴い、闊達な足取りで東の郭門をくぐりかけた。
 だが、寸前で足が止まり、体がこちらを向いた。
「おせき、こちらへ」
「はい」
 身をかがめて小走りで近づいたおせきに、史絵は小声で何事か言い残し、今度こそ門をくぐった。 そして、一度も振り向かずに城郭へ姿を消した。


 戻ってきたおせきは、お幸の手を引くようにしてせきたてた。
「ここにいては危ない。 お城からできるだけ離れましょう」
「でも、どっちへ?」
 ぼんやりとお幸は問うた。
「敵はどちらから攻めてくるんだろう?」
 門番に訊きたいが、勇気が出なかった。 二人は途方に暮れて、しばらく立ちどまっていた。
 おせきに行く先の責任を負わせるわけにはいかない。 お幸は徐々に気を取り直し、考えを廻らせた。
「桔梗屋の伯父さんのところへ行こうか。 逃げるとき一緒なら心強い」
「そうですね、そうしましょう」
 ようやく方策が決まり、歩き出そうとしたとき、口から泡を吹いた黒馬に乗った兵が、凄い勢いで横を通り過ぎ、二人はもう少しで突き倒されるところだった。
 半ば落馬するように馬から飛び降りた兵卒は、上ずった声で衛兵に叫んだ。
「戸ノ口原が突破されました! 堂ケ作山も落ちました! 敵は野火のように突き進んでおります! 後一刻ほどで先遣隊が城下に進軍してくるでありましょう!」
 あと一刻! お幸は血の気を失った。 足元ががたがたと震え、恐怖が滝のように全身をひたした。




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