表紙

面影 55


 七月の末から、各地で戦って傷ついた兵士たちが会津若松へ運びこまれてきていた。 学問所だった日新館が臨時の病院となり、史絵とお幸は交代で看護に出向いた。
 誠吾に続いて、いよいよ伊織にも出陣命令が下り、小隊長として二本松城の防備についていた。 家にいると悪いことばかり考えてしまうので、お幸は進んで救護の仕事にいそしんだ。

 史絵は、雇い人のうち女中と下女を里へ帰すことにした。 気丈なお染は残ると言い張ったが、史絵は膝詰で説得し、実家へ戻らせた。
「太平の世に割れ目ができて、大きく広がってきたのです。 もう日本だけのことではない。 後ろにはエゲレスとかフランスとか妙な名前の外国がついて、いろいろとけしかけ、漁夫の利を狙っているようです。
 これからは若い人がしっかりしなくては。 お父さんは具合がまだはかばかしくないのでしょう? しっかり看病して親孝行して、戦が終わったらまた来てください」
 それから冗談めかして付け加えた。
「まだこの屋敷が残っていたらね」
 とたんにお染は身を揉んで泣き出した。
「そんな! 奥様なんでそんな恐ろしいことを!」
「だんぶくろ達は情け容赦がないそうですよ。 妙な服を着たために、武士の心をなくしてしまったのでしょう」
 史絵の言う『だんぶくろ』とは、着物をやめて軍服を採用し、筒袖やソギ袖の上着と細袴を身にまとった軍隊の、見慣れぬ服装から来た仇名だった。 実は幕府軍も同系統の軍服だったのだが、この後東北では、嵐のように破壊し暴れまくった新政府軍に対する蔑称となった。


 七月末、二本松は落城した。 幸い、伊織たちは退いてくる部隊の中に入っていて、軽傷だった。
 もう敵が会津めがけて乗り込んでくるのは時間の問題となった。 鶴ケ城では幾度も合議が開かれ、敵兵が城下に侵入しかけた時にはすぐ早鐘を鳴らし、それを合図に武士と家族たちは城内へ、町人たちは町の外へ退避するようにというお触れが出された。

 苦境に苦境を重ねるように、八月六日は怒涛の大雨となった。 豪雨は降りやまず、あちこちで川が溢れて大きな被害を出した。


 雨がようやくやんだ頃、新政府軍はひたひたと会津に迫っていた。 すでに三春藩と長岡藩は敵の手に落ち、ほぼどこからでも会津領内に侵入できる状況だったので、会津藩は兵をあちこちに分散せざるを得ず、ただでさえ少ない兵力が手薄になった。

 八月十九日の朝、お幸は再び出陣する伊織の戦支度を手伝っていた。 陣羽織を重ね、きりりと鉢巻を締めたとき、どうしても涙がこみ上げてきて、思わず顔を伏せた。
 静かな声がした。
「こっちを見てくれ」
 涙が重い膜を作って、なかなか瞼が上がらない。 それでも懸命に、お幸は顎をそらして夫の姿を見た。
 肩に骨ばった手が置かれた。
「おそらく、これで別れだ」
 思いもよらぬ言葉だった。 お幸はびくっとして、厳しい表情の夫と視線を合わせた。
 言葉を噛み締めるように、伊織は呟いた。
「せめてここで、お幸と母上を守って戦いたかった」




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