表紙

面影 54


 翌二十五日、戦いの火蓋は切って落とされた。
 奥州の入口、要衝にある白川小峰城に、新政府軍(=官軍)の大軍が押し寄せたのだ。
 奥州列藩同盟軍は必死に応戦したが、武器が違いすぎた。 城は六日間しか持たず、五月一日に陥落した。
 同盟軍の死傷者はおびただしかった。 死者だけで約七百名。 会津藩白河口副総督の横山主税、軍事奉行の海老名衛門、仙台藩参謀の坂本大炊が討ち死にし、敵方の薩摩藩参謀、伊地知正治も戦死した。

 しかし、まだ同盟は勢いを失っていなかった。 この戦の二日後、白石で二十五藩が会合を開き、会津・庄内追討を不当とする建白書に調印を行なった。
 これに長岡藩、新発田藩なども加わり、六月十六日に奥羽越列藩同盟が結成された。 新潟地方を含む東北一帯は、新しい国を作ろうと動き出したのだ。

 これを明治新政府が許すはずはなかった。 戦闘は散発的に続き、六月二十四日に棚倉城が、二十七日にはいわきの泉城が新政府軍の手に落ちた。
 敵から取り戻した城もあった。 五月に一度陥落した長岡城だ。 しかし、七月二十九日には再び奪還され、長岡藩家老の河井継之助は落ち延びる途中で傷が悪化して死んだ。
 その同じ日、会津の北東にある二本松城も攻め落とされた。


 七月最後の日、部隊の詰め所から一時帰宅した伊織が、お幸に思いがけないことを言った。
「そういえば、騒動にまぎれて里帰りがまだだったな」
 いざという時に備えて身支度を整え、姑から薙刀〔なぎなた〕の手ほどきを受けたりしていたお幸は、驚いて夫の顔をまじまじと見た。
「里帰りなどと、そんな悠長なことを言っている場合では」
「そうか? 確かにうちは武家だが、お幸はもともと商家の育ちだ。 大手を振って里に帰っていいんだよ」
 意地悪で仲間外れにされるような気がして、お幸は思わず涙ぐんでしまった。
「いいえ! 私は林田伊織の妻です。 このお家を守ります。 どこへも行きたくありません!」
 縁側であぐらをかいていた伊織は、影のある表情になって呟いた。
「誠吾に出陣命令が下った。 国境へ行かされるらしい。 はっきりした目的地は秘密だが」
 遂に身近な人が戦場に…… お幸は目の前がちかちかする思いだった。
 




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