表紙

面影 53


 会津藩は密かに戦いの支度に入った。 朱雀隊に属する働き盛りの男子は招集され、軍事訓練を始めた。
 その一方で、何とか戦闘を避けようという努力もなされていた。 関宿という場所で、仙台藩、米沢藩の重役たちと、会津の梶原平馬とが会合を開いて、恭順の条件を話し合ったのは、三月末のことだった。
 同じ東北の藩同士、罪があるわけではないのに何故敵味方に分かれて戦わなければならないのか、という疑問は、各藩に共通していた。 だから、仙台藩の代表である板英力は一つの案を出してきた。
 鳥羽・伏見の戦いで官軍を攻撃した責任者二人を差し出せば、会津藩にそれ以上のお咎めなしとするようにうまく話をつける、という提案だった。

 板たちはこの案に、ある程度自信を持っていた。 奥州鎮撫軍は千人にも満たない。 おまけに指揮官は公家の九条道孝で、戦闘を避けたい気配がありありだった。
 しかし、この和平の機会を、会津藩は信用できなかった。 官軍の中心は長州だ。 長州藩と会津藩は禁門の変から敵同士で、互いに深く憎み合っていた。 どう動いても官軍は攻めてくるだろうと腹をくくって、会津藩はこの提案を蹴ってしまった。
『徳川氏がどうなるかわからないうちは、頭を下げるつもりはない』という返書を受け取った鎮撫軍の下参謀、世良修蔵は、激怒して本部に手紙を送った。 怒りのあまりか、中の一文にこんなことまで書きなぐってしまった。
『奥州皆敵』
 この密書を、仙台藩の秘密部隊がこっそり開いて盗み読みした。

 官軍の使いとして威張りちらしていた世良修蔵は、東北の藩士たちにひどく嫌われていた。 だから、東北はみな敵だと決め付けられて堪忍袋の緒が切れた。
 四月二十日、福島の妓楼『金沢屋』で、世良は刺客に襲われ、二階から飛び降りて重傷を負ったところを連れ去られて斬首された。

 この暗殺事件で、本当に東北全部が官軍の敵となってしまった。 やむを得ず、四月二十三日に東北二十七大名が白石城に集まり、同盟を結んで官軍に対抗することが決まった。


 この事件が終わりの始まりだとは、まだ誰も思っていなかった。 それでも誠吾はいっそう暗く落ち込むようになり、酒の量が増え、あまり家に戻ってこなくなった。
 同盟が結成された翌日の午後、お幸が女中らと共に洗い張りした着物を取り込んでいると、井戸端にふらっと誠吾が現れて水を汲み、犬のように桶に顔を突っ込んだ後、荒く息をついて柱に寄りかかった。
「またお酒ですか?」
 軽くなじるようにお幸が言うと、誠吾は薄く血管の浮いた目で見返し、投げ捨てるように答えた。
「呑まずにはいられませんよ。 ここの連中は実戦を知らない。 夷荻の売り込んだ大砲や機関銃がどんなに恐ろしいか。 稲束のように人間をなぎ倒すんですよ。 体が吹き飛んで飛び散るんですよ」
 お幸の頬が、無意識に痙攣した。 鳥羽・伏見の戦いで、誠吾は地獄を見てきたのだった。




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