表紙

面影 43


 新郎新婦が決められた席につくと、すぐに式が始まった。 雄蝶、雌蝶に扮した子供たちが酒をついで、仲人の榎木但馬〔えのき たじま〕が朗々と祝歌を吟じる中で、三々九度の盃がおごそかに交わされた。
 それから祝宴は、がらっと明るい雰囲気になった。 若侍たちは袴をからげて歩き回り、酌をしたりされたりしながら話に興じていた。
 やがて、祝いの剣舞が始まった。 きりりと襷〔たすき〕がけした二人の若武者が呼吸を合わせて身をひるがえし、次々と型を決めていく有様は、息を呑む迫力で、目を伏せて座っていたお幸も思わず顔を上げて見とれた。
 舞いが終わり、やんやの喝采が巻き起こった。 新郎の伊織に酒をつぎに来たひょろりとした青年武士が、中腰でお幸の前を通るとき、小声で囁いていった。
「覚えていますか? 刀研ぎの前であなたに付け文した者です」
 ぎょっとして、お幸は思わず彼の顔に視線を当てた。 窪んだ頬は笑っていたが、眼は無表情で、黒い穴のように見えた。

 日がとっぷりと暮れ落ちて、婚礼はお開きとなった。 いい式だった、 楽しかった、と口々に話しながら、客たちは祝福の言葉や挨拶を述べて、帰っていった。
 末席のほうにいたお栄が、ようやくお幸の傍に来て、まず姑の史絵〔ふみえ〕に丁寧に口上を述べた後、こっちに向き直った。
「よかったね、おめでとう。 まさかあんたがお店をおっぽって出ていくことになるなんて、夢にも思わなかったけどね」
 すぐ背後には、新しい養子の弥五郎が控えている。 いくら低い声でも、ところどころ聞こえたらしく、お幸は気が気ではなかった。
「私なんかいなくても、こんな立派な跡継ぎができたんですから」
「ああ、そうだよ、確かにね。 でも弥五郎がいくらいい人間でも、そのうち嫁を貰うことになるんだよ。 私はどんどん邪魔にされて、そのうち倉の中にでも寝かされるんじゃないかね。 くわばらくわばら」
「そんなこと。 おっ母さんは先代のおかみさんですよ。 粗末にされるわけがない」
「まあ見ていなさいって」
 愚痴を言うだけ言い終わると、お栄はちらっと花婿を見やり、わざとらしいほど丁寧に頭を下げて、廊下に出ていった。




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