表紙

面影 42


 婚礼の日は、美しい晴れだった。 花嫁衣裳は既に矢柄屋から届けられ、祝いの酒も桔梗屋から先方に送られ、準備は万端整った。
 お栄は加藤家に来ようとしなかった。 まだつむじを曲げているらしく、直接嫁入り先の林田家に行くと言ってきかず、豪華な留袖を勝手にあつらえたと、由吉が泣き言を伝えてきた。
「取りやめになった婚礼の衣装を着まわすのは、縁起が悪くありませんかね。 急ぎでも新しく作ったほうが。 なにせ、花嫁でもないおかみさんが着物を新調するぐらいなんだから」
 整った中にも思いやりのある由吉の顔を、お幸は懐かしそうに眺めて微笑んだ。
「平気だよ。 着物に罪があるわけじゃなし、手を通してもいないものに縁起をかつぐ気はないよ。
それより、店で忙しい中をよく来てくれたねえ。 由吉さんや大番頭さんにも会いたくてしょうがなかったよ。 ここに来た当座は寂しくて仕方がなかった。
 でも、出会いって不思議なものだ。 まさかこの会津に、林田さまがおいでになるなんて、考えもしなかった」
「お嬢さんの初恋の人なんだそうですね」
 どこか眩しげに、由吉は幸福に輝くお幸を見やった。
「いつの間にか想い合っていたなんて、浄瑠璃芝居のようですね」


 加藤家で着替えて、お幸はお常に手を取られて駕篭に乗った。 式の間中、加藤夫妻がお幸の親代わりを勤めるのだった。

 三台の駕篭が止まったのは、黒く塗った木の塀を廻らせた中規模の武家屋敷だった。 門の前はきれいに掃き清められ、打ち水がしてある。 斜め上に枝を張った松も、きちんと刈り揃えられていた。
 門の横には使用人たちが並んで、いっせいに頭を下げた。 そして、その間を縫うようにして、伊織その人が迎えに出てきた。
 彼の眼には、喜びがかげろうのようにゆらいでいた。 うっかりすると花嫁に手を差し伸べかねない様子を見て、お常が笑いながらたしなめた。
「これこれ、婿殿はどっしりと待っていなければなりません。 座敷へお入りなさい」
「きれいだ」
 心のままを口にして、伊織は叱られた子供のように顔を赤らめ、玄関へ引き返した。 お幸も角隠しの下で、嬉しさにほんのり上気した。 これまで胸の底に僅かなためらいがあったとしても、この出迎えですべて吹き飛び、温かい安心感が体を充たした。




表紙 目次文頭前頁次頁
背景:kigen
Copyright © jiris.All Rights Reserved
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送