表紙

面影 37


 治助の肩がすぼんだ。 力を失ったように見えた。
「そうですか……。 お嬢さんがそこまで思いつめていらっしゃるなら、わたしはもうとやかく申しません」
 でもその表情は張り詰めていた。 内心の不満が奥底にたぎって、角の立った目からお幸に投げかけられていた。
 店を見捨てて去るのか、という無言の非難を浴びた気がして、お幸は姿勢を正した。
「お世話になったおっ母さんや大番頭さんたちに相談もせず、話を運んでしまったことは、本当にすまない。
 あとは桔梗屋の伯父さんにすべてお任せしてあります。 林田家のご事情がいろいろとあるだろうし、どう進んでも、私は不平不満を言わず、お受けするつもり」
「桔梗屋の旦那様に相談しろということですね?」
「できたらそうしておくれ」
 思わず哀願に近い言い方になった。 お幸は治助が好きで、頼りにしていた。 年の離れた兄のように慕っていた。 彼に恩を忘れた薄情者と思われるのは切なすぎる。 なんとしても納得してもらいたかった。

 治助は、茶も飲まず桔梗屋に回っていった。 談判の間ずっと小さくなっていたおせきは、彼の後ろ姿が見えなくなると、ぽつっと呟いた。
「あんなにうろたえた大番頭さんを見るのは初めてです。 お嬢さんはあの店で、よっぽど大事に思われていたんですね」

 桔梗屋で、治助はほとんど何もしゃべらず、きちんと座ってうなだれて義三の話に聞き入っていたと、お幸は後で知った。 寮を出て道を歩いている間に頭が冷え、後戻りのできない縁談だと理性に教えられたのだろう。

 めでたい話は、桔梗屋の手に預けられてから、とんとん拍子に進み出した。 少し太目の体を揺らして、義三は武家屋敷町とお幸の泊まる寮とをまめに往復し、細かい条件を次々とまとめていった。
「加藤さまというご親戚が、おまえを養女にしてくださるそうだ。 そのお宅から嫁入りすることになるわけだな」
 そこまで話が進んだとき、お幸はようやく、二人が本当に結ばれるのだと悟った。
 



表紙 目次文頭前頁次頁
背景:kigen
Copyright © jiris.All Rights Reserved
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送