表紙

面影 25


 ふたりとも若松の者ではないから、五瀬通りのありかを知らず、子供連れのご新造に訊いてようやくたどり着いた。
 そこは祭りの騒がしさとは無縁の静かな道筋で、寺の敷地が長く続き、人はほとんどいなかった。
 ただ一人見えたのは、三段に重なった天水桶の横に佇む若い武士だった。 髷の結い方から相手の身分を知って、おせきは心配そうにお幸をちらりと眺めた。
 同時に、若侍も二人に気付いた。 寄りかかっていた塀から跳ねるように身を起こすと、彼はつかつかと歩いてきて、お幸の前に立った。
 わずかに揺れる声が名乗った。
「来てくれてありがとう。 林田伊織〔はやしだ いおり〕という者です」
「お幸です」
 はっきり口に出したつもりなのに、溜め息のようにしか聞こえず、お幸は焦って言い直した。
「お幸といいます。 矢柄屋の養女に入っています」
「ええ、知っていました」
 知っていた? 驚いて目を見開いたお幸を、伊織は緊張のあまり少し怖いような目で見返した。
「飯坂で、いつも三味線の稽古に通っていましたね。 こちらは剣道で、十日に一度はすれ違ったものです。 覚えていますか?」
 覚えているも何も、そうなるように仕組んだのだから――急に自分の大胆さが恥ずかしくなって、お幸は頬を赤らめた。
「はい……刀研ぎの店のあたりで」
「我々はあなたのことを、あの界隈の名前を取って桜窪小町と呼んでいたんですよ」
 そんなことは夢にも知らなかった。 いっそう顔が熱くなって、お幸は落ち着きを失った。
 いったん黙ってしまうと、話を続ける勇気がなくなるかもしれないというように、若者は息せき切って続けた。
「皆あなたに会うのを楽しみにしていました。 誰が真っ先に話しかけるか、賭けになっていたほどです」
  凛々しい声が沈んだ。
「だが、わたしはこちらの実家に呼び戻され、それっきり戻れなくなりました。
 矢柄屋には婿入りの話があるそうですね。 会津若松には、その支度で来られたんですか?」
 お幸の足が重心を失い、ふらっと横に倒れかけた。



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