表紙

面影 20


 二日後は、もう四月だった。
「本当なら婚礼の衣装が出来上がってきて、大喜びで広げてご覧になる頃なんですけどね」
 お幸の普段着を畳みながらおせきが嘆いたが、お幸は平気で廊下に立ち、垣根越しに外を見ていた。
「衣装は本当に届いているだろうね。 いいじゃないの。 別のお婿さんを探せば」
「そりゃそうですけど」
 お幸の元気ぶりが少しも変わらないので、おせきはほっとしたらいいのか、それとも内心の傷を隠していると思ったほうがいいのか、悩んでいた。
 当のお幸は、悩んでなどいなかった。 目的のものが見えたので、爪先立ちになって確かめ、すぐにおせきをせきたてた。
「ねえ、あれが貸し本屋さんだろう? 大風呂敷に包んだ荷物を重そうに担いでいる、あのおじさん」
 首を伸ばして覗いてみて、おせきはやっこらさと立ち上がった。
「はいはい、行って呼んできますよ」
「お願い」
 にこにこして、お幸は勝手口に座りこんで待った。

 当時、本は手作りで、非常に高価なものだった。 だから庶民は定期的に回ってくる貸し本屋から借りて、次に本屋が来たときに返すというやり方で、いろんな本を安く読んでいた。
 お幸はお伽草子を一冊と東海道中膝栗毛を二冊選んだ。
「一巻と三巻? 二巻はないの?」
「その道中物はすごい人気でね、借りる客だらけでなかなか揃わないんですよ。 次はたぶん、きっと」
「話が途中で切れちゃうね」
 それでも機嫌よく、お幸は本を抱えてトントンと二階へ上がっていった。

 お伽草子には挿絵もついていた。 せっせと畑を耕している爺様の絵を見ているうちに、遠くなった生まれ故郷の春が、ふっと頭をよぎった。
「お父っつぁま」
 若いが庄屋の貫禄があった父。 大好きだった子煩悩な父の姿が、驚くほど鮮やかに蘇った。 お幸は激しく心を動かされ、畳に突っぷして顔を覆った。
 そのとき窓の下で、元気な若い声が突然はじけた。
「入るな、入るな! まだ水は冷たいぞ」
「この竿を使って取れ。 早まるな」
 何かを川に流されたらしい。 お幸は目を拭い、立ち上がって窓に近づいた。 



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