表紙

面影 13


「祝言はやはり春がいいねえ、華やかで」
 お栄の鶴の一声で、式の日取りが決まった。 縁起のいい日取りを探すと、四月の二十一日に行き当たった。
 さっそく準備が始まった。 呉服屋、小間物屋、箪笥屋などなど、忙しげに出入りする様子を、お幸は他人事のように眺めていた。
 婿取りは必要だ。 よくわかっている。 だが、好きでも嫌いでもない男と縁を結ぶのは、よくあることとはいえ妙な気持ちだった。
 せめてもう一度あの人に会えたらな――そんな夢が芽生えたのが三月の中頃で、お幸は思い立ってお宮参りをするようになった。
 いわゆる願かけだった。 康助をお供に毎朝通っているうちに、お幸はある光景を偶然目にすることとなった。
 初め見たのは、前掛け姿のままの清次郎だった。 一人だけで、茶屋の角にぽつんと立っていた。 なんとなく顔色が悪い。 店にいるときは明るくしているが、外では落ち込んだ表情をしていた。
 彼がまったく自分に気付いていないらしかったので、お幸は横道に曲がって家に戻った。
 三日後、再びお幸は清次郎を見た。 今度は一人ではなかった。 首筋を白粉で真っ白に塗った若い女と、顔を突き合わせるようにしてひそひそ話をしていた。
 このときは、康助も清次郎を見つけた。 そして、太い眉をしかめて呟いた。
「白首〔しろくび〕なんかと何やってるんでしょうかね。 案外遊び人なのかもしれませんよ。 お嬢さん、気をつけて」
 お幸は答えずに足を早めた。 心に引っかかっていたのは清次郎の浮気性ではなく、相手の女の顔立ちだった。
 たしかどこかで見たような…… 夕方まで考えたが、思い出せなかった。

 白首とは、飯盛〔めしも〕り女とも呼ばれる、下級の遊女だ。 お幸は店に戻った後、誰にも清次郎のことを言わなかったが、康助がさっそく由吉に告げ口したらしく、夕食の後、店の裏に呼び出された。
 とても話しにくい表情で、由吉はお幸に言った。
「清次郎さんはまだ修業中の身です。 色ごとは、はまると抜け出るのが大変だ。 遠慮して黙っていないで、お嬢さんからきちっと止めるように言ってくださいね。
 おかみさんは清次郎さんに甘くて、道でも訊かれていたんだろうと笑いとばすだけなんですよ」
「あっ」
 不意にお幸が高い声を立てたので、由吉はびっくりした。
「どうなすったんです?」
 口をつぼませて、お幸は小さく首を振った。
「あのひとの顔に覚えがあったの。 今やっと思い出した」



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