表紙

面影 102


 日頃丈夫な者ほど、いざ床につくと病が重くなるという。 進藤は相当な熱を発し、何枚布団をかけても震えが収まらなくなった。
 賀川が引きずるようにして呼んで来た医者は、熱さましを処方し、それから人払いを命じた。
「この風邪は流行り病だ。 うっかりすると家中の者にうつるぞな」
「では私一人で看病します」
 ゆき子はすぐそう申し出て、お初やお明だけでなく、忠実な賀川までも部屋に立ち入り禁止とした。

 幸い、高熱は翌日の午後で下がった。 だが、消耗した体力は意外に大きく、それから四日間、進藤は厠へ行くにもゆき子に支えてもらうほど衰弱が激しくなった。
「情け……ないのう。 こん年で女子に……おぶさっちゅうのは」
「おんぶなんかしたら潰れてしまいます」
 少しの運動でも息を切らしてしまう進藤に肩を貸して、廊下をゆっくりと歩いていたゆき子は、思わず笑い出した。 大きな進藤を薪のように担いで進む自分を想像すると、笑わずにはいられなかった。
 ようやっと座敷にたどりつき、進藤は布団に大の字となって、目を閉じた。 その上にゆき子がかいがいしく布団をかけていると、不意に男の眼が開いた。
「なあ」
「はい?」
「表立って口にできる話ではないが、遅くともこの夏には新政府の形がはっきりと決まる」
「はい」
 進藤が侍言葉で話すときは、深刻なことか特に重要なことがほとんどだった。 ゆき子は膝に両手を置き、意識を集中して聞いた。
「梅野閣下は工部省、つまり橋や道などを作る役所の長に内定された。 わしは閣下のもとで技官となるらしい」
「はい」
「それで、閣下は、栄転を機に細君をお披露目しろと仰せられた」
 たちまちゆき子の視線が泳いだ。 お披露目は、正式な妻として表舞台に立つということを意味する。 梅野は、進藤に決断をうながしているのだった。
「道は二つだ。 おぬしがわしの妻になってもいいと思うなら、ただちに会津へ使者を走らせて、おぬしの身元を確かめる。 そして、自由な身だとわかり次第、婚礼の式を挙げる」
 少し痩せた腕を曲げて、進藤は頭の下で組んだ。
「これが一つ。 もう一つは、おぬしが半月前に申し出たとおり、どこの誰と調べぬまま、街道が安全になったら故郷へ戻す」
 私が誰か、会津まで行かなくともこの近くで、知っている人がいる。 その人は私を快く思わず、たぶん様子を探りに来ていて、できればここから追い立てようとしている……
 その男の存在を、進藤も知っているはずだが、ゆき子はどうしても、あの投げ文のことを口に出せなかった。
 しばらく唇を結んで迷った後、ゆき子は緊張でかすれた声で答えた。
「明日、いえ、明後日まで待ってください。 身の振り方をじっくり考えてみます」
「何日でも待つき」
 進藤はくだけた口調に戻った。
「どうせしばらくは満足に動けん」



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