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38 遺言の呪縛
間もなく、シュゼットの金切り声が館中に響き渡った。
何事かと客室のあちこちがざわめき、ドアを開けて頭を突き出す客の姿もあった。 イヴォンヌはすぐに異変を悟り、廊下を走ってベルナール夫人の部屋に駆けつけた。
夫人は、昼間のほとんどを過ごすお気に入りのカウチから半分ずり落ちていた。 悲鳴を上げておびえるシュゼットを押しのけ、イヴォンヌがひざまずいて抱き上げると、夫人は小刻みに震えながら、うっすら目を開けた。
「ああ、イヴォンヌ……」
ほっとして、シュゼットが囁くように言った。
「よかった〜、生きてるんですね」
「立ってないでベルナールさんを一緒に持ち上げて」
イヴォンヌが指示して、二人は枯れ木のように軽く強ばっている夫人の体をベッドに寝かせた。
大きな枕に頭が乗ると、ベルナール夫人は安心したように目を閉じた。
「楽になったわ。 ベルの紐を引こうとして、カウチから落ちてしまったのよ。 頭に血が上って苦しいったらなかった」
その頃には、叫びを聞きつけた娼婦たちのうち数人が戸口に集まって、不安そうに中を覗いていた。 夫人は薄目を開いて彼女らに気付くと、束の間活気を取り戻して鋭く言った。
「だめよ、あんたたち。 お客を置いてきたならすぐ戻りなさい」
すぐに二人が引き返していったが、まだ三人が残って、そのうちの一人が夫人に呼びかけた。
「気分が悪いんですか? エクトール先生を呼びましょうか」
エクトールとは夫人のかかりつけの医者だった。
すると夫人は、力なくまばたきした。
「やめて。 金の無駄遣いだわ」
そして、驚くイヴォンヌの腕を、細い指でがっちりと掴んだ。
「さっきは、すぐ駆けつけてくれたわね。 ほうっておけば死ぬのが早くなったのに」
「ベルナールさん、なんてこと言うの」
イヴォンヌが閉口している間にも、夫人はみるみる衰弱していった。
「心臓が朝から変なのよ。 きっと止まりかけているんだわ。 だからあの世に足を踏み入れる前に、急いで言っておかなくちゃ。
シュゼット、それにそこの戸口にいるマリー・テレーズ、傍においで。 証人になってもらうわ」
二人の若者がおそるおそる近づくと、ベルナール夫人はイヴォンヌに耳打ちして、カウチの座面の下に隠された銀の小箱を持ってこさせた。
「ここにね、権利書と遺書を入れてあるの。 全部ここにいるイヴォンヌに残すと書いておいたわ。 私には子供も親戚もいない。 こうなるのは、戻ってきたときからわかってたでしょう?」
苦しい息の下からいささか皮肉な口調で言われて、イヴォンヌは激しく首を振った。
「いいえ! 私は他に行くところがないから、ここに来たんです。 雇ってもらえて命拾いしたようなものよ」
「確かに必死だったわね。 これからもその意気で、店を守り立ててちょうだいね。 金ほしさですぐ叩き売ったりしないように」
イヴォンヌは一瞬目を伏せた。 それから素早く心を決め、きっぱりと約束した。
「がんばるから、安心してくださいな。 私には他にできる仕事はないもの」
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