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表紙


1 始まりの日



 娼館だからといって、かならず下町のいかがわしい界隈に建っているとはかぎらない。
 そうは言っても、廃兵院と本屋に向かい合い、学士会館のすぐ裏手にあるとは驚きだった。
 何のへんてつもない石造りの建物の前に立ち、ノッカーに手を伸ばしたオベール少尉は、横でぎこちなく唇を噛みしめている友をちらりと眺め、念を押した。
「本当にいいんだな? 決心は変わらないな?」
 飾りのついた軍帽を右脇から左へ抱え直すと、ジェルマン・バレ少尉は短く答えた。
「変わらない」
「よーし」
 オベールは顔をほころばせ、力を込めてノッカーを三度叩いた。


 間もなく、樫の木でできた頑丈な扉がなめらかに開き、糊のきいた真っ白なエプロンをした女中が出迎えた。 まるっきり普通の中流家庭の雰囲気だった。
「いらっしゃいませ」
 まだ若く、頬の赤い娘が、かわいらしい声で挨拶した。 オベールは慣れた様子で少女に微笑みかけた。
「こんにちは、マドレーヌ。 僕は知ってるね? で、こちらは友人のバレ少尉。 ベルナール夫人はご在宅?」
「はい。 こちらで少々お待ちください」
 よどみなく答えて、マドレーヌは向きを変え、二人の青年を先導していった。 歩を進めるたびに、頭にちょこんと載せた帽子の長いリボンが左右に揺れた。


 待合室になっている長方形の部屋も、普通の住宅と変わらなかった。 下品な彫刻や絵画はどこにもなく、西向きに開いた大きな窓から初夏の日差しが気持ちよく差し込んでいる。
 オベールはくつろいで、小型の丸テーブルに積んである雑誌をぱらぱらめくったりしていたが、ソファーにきちんと腰をかけたバレのほうは固い顔つきがなかなかほぐれず、やがてきゅうくつになったのか、襟元に手を伸ばしてホックを緩めた。
 そのとき、奥のドアが静かに開き、中年の婦人が入ってきた。 昼下がりにふさわしい服を着ていて、水商売には見えない。 ただ、その年頃の女性としては、いくらか襟ぐりが深くなっていた。
 彼女はオベールを目にすると、親しみをこめた笑顔になって、ぐんぐん近づいてきた。
「これは少尉さん、ご無事で帰還できて嬉しいわ」
「久しぶり、マダム」
 握手をし終わってすぐ、オベールは背後で立ち上がった友を振り返って紹介した。
「ジェルマン・バレ少尉。 僕の戦友で親友。 今度海外へ派遣されることになったので、その前に一人前の男になっておきたいんだそうだ」







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